花集ウ 9

 小笠原は昨日も感じたのだが、この子は澄んでいてはっきりとした、よく通る声をしている。
 これなら大勢の人間の話し声に混ざっても、簡単に聞き分けられるだろう。
「へぇ、ハル、か。可愛い名前じゃん。ハル・タカトーね。タカ…… えっ、高遠!?」
「何よ義光。この子が高遠だと、何か都合の悪いことでもあるわけ?」
 こちらも高いことは高いのだが、ハルに比べると随分と野太く埃っぽい声がして、驚いた小笠原はハルから目を離し、倉庫の入り口を見た。
「タカ」
 高遠が倉庫の扉の前に立ち、彼を呼んだきり次の言葉が出てこない小笠原の反応を、可笑しそうに見物していた。
 両手には、サンドイッチと飲み物を載せた大きな盆を抱えている。
「どうせ朝から何も食べてないんでしょ。今度新しく入った“エメラルド”のコックにアンタのことを話したら、サンドイッチを作ってくれたのよ。これからは従業員の賄い食でいいなら、“エメラルド”へ食べに来いって。あんなに痩せててそのうち倒れてしまうんじゃないかって、心配してたわよ」
 高遠は自分の父親が経営している、練習倉庫の向かいに建つレストランの名前を言う。
「痩せてんのは元々の体質で、食ってないからじゃねえけどな。新しいコックって、泉さん?」
「そうよ」
「どう、あの人。大丈夫そう?」
 小笠原は恐る恐る訊いてみる。
 二人の会話に名前が挙がったコックの泉は、小笠原の元カレの知り合いだ。
 ここよりずっと北の土地の出身である泉は、十六才でコック見習いになってから、勤める先々の店で次から次へとトラブルを起こし、段々と南に下ってきた渡り鳥のような人らしい。
 世間ではそういう料理人のことを『流れ板』と言うのだと、小笠原は元カレから教わった。
 丁度、コックが足りなくて募集が懸かっていた“エメラルド”に、口を利いてやって欲しいと元カレに頼まれた小笠原が、断りきれずに連れてきたのだ。
 流れ板なんて洒落た名で呼ばれる人間など、どんなに厳つい人なのかと想像していた小笠原の前に現れた泉は、平均的な日本人男性の背格好をした、特にこれといって目立った所の無い、立ち居振舞いのおっとりした優しそうな人だった。
 その時、この人なら大丈夫かもと思ったことは、間違いないのだが。
 今二十二才だと、中学生の小笠原にはにかんだ笑顔を浮かべた泉を見て、
「義光、お前の好みだろ」
 と元カレにからかわれたことは、高遠には内緒にしてあった。
 幾ら自分好みでも、男性関係で悶着を起こして地元にいられなくなるような男と、どうこうなる気は全く無い。
「泉さんってちょっとボケてるけど、優しくていい人ね。義光が腕利きのコックを連れてきてくれたって、うちの父親喜んでたわ」
「それならいいけどな」
 断りきれなかったとはいえ、そういう経歴を持つ泉を紹介した手前、小笠原にも責任がある。
「うちの父親の話だと泉さん、今までも何か自分からトラブルを起こしたっていうよりは、巻き込まれたって感じみたいなのよ。“エメラルド”はあんな店だし、心配しなくても大丈夫なんじゃないかしら? ハルも、泉さんには最初から懐いたしね」
 “エメラルド”は古くからこの地元にある洋食レストランで、高遠の祖父の代にはゲイ同士の交流の場として知られていた。
 父親の代になってもそれは変わらなかったのだが、世の中も移り変わり他人の性癖を全く気にしない客も増え、ホモとヘテロが共存する、他所にはない珍しいレストランになった。
 高遠の父親が半分趣味で始めた音楽という共通の楽しみがあることが、両者が上手くいっている理由かもしれない。
 余談ではあるが、昨今のイケメンブームに乗っかった小笠原と高遠の発案で、エメラルドのホール係に見映えのする若い男性を置いたところ、ランチを食べに来る女性客のハートを射止めることにも成功していた。




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あきゅろす。
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