花描カレル 3

 
 お爺さんの葬式が終わるまでは山の上の家にいることが許されたが、次の日には別のところに連れていかれた。
 これからどうしたいかというオレの気持ちなど、訊ねるような大人は誰もいない。
 殴られ罵られながら家事をする生活が、再び始まった。洗濯し掃除をして、夕飯を作るための買い物に出る。
 買い物袋の重たさに両手が痺れてため息をついた、スーパーからの帰り道。
 少しだけ休憩するつもりで立ち寄った公園の入り口の花壇に、ひまわりの花が咲いているのをみつけた。
 山奥の家で夢中になって描いた日から、丁度一年が経っていた。

 オレは公園の中に入り、両手に持っていた買い物袋を花壇の前に降ろすとひまわりを見上げた。
 描きたい、と思った。
 紙も鉛筆も持っていなかったので、近くから細い木の枝をみつけてきてしゃがみ込むと、地面にひとつ、ひまわりを描いた。
「美しい、向日葵たいね」
 どこからか、お爺さんの静かな声が聞こえてきたような気がした。
 そうしたらもう止まらなくなり、自分の身体の内側から沸き上がる衝動に突き動かされるまま、次から次へとひまわりを描いた。
 勢い余って枝が折れると、別の枝を探してきてまた描いた。
 折れたら別の枝を、折れたらまた別のものを。
 描く場所なら幾らでも広がっている。この公園の敷地全部が、大きなキャンバスだった。



 気がついて顔を上げると、辺りは薄暗くなっていた。
 買い物袋から溶けた肉の汁が滲み出て、地面に小さな染みを作っている。

 まずい。

 オレは慌てて荷物を両手に掴み上げ、小走りに家までの道を急いだ。
 ここには耳をつんざくようなカエルの合唱も、虫の音も無い。ましてや自分自身の意思など。
 あの山の上の家に帰りたいとは思わなかった。
 懐かしいと感じるほど、長く住んでいたわけではない。
 ただあの物静かなお爺さんに、堪らなく会いたかった。

 裏の勝手口をそっと開けると、目の前にこの家のおじさんが仁王立ちになってオレを見下ろしていた。
「あの、ごめんなさ……」
 言い終わらないうちに無言で中に引きずり込まれ、キッチンの壁に投げつけられる。
 肩を思い切り打ちつけて走ったあまりの痛みに、このままだと腕が駄目になるかもしれないと考え、両腕を胸の前に庇って床に丸くうずくまった。
 後はもう、されるがままだ。
 黙って耐えていれば、暴力はそのうち終わる。下手に泣き叫んだり許しを請えば、相手はますます興奮し却って酷いことになる。
 学校に通えなくても、こういうことは日常から学べた。
 家事ができなくなるから折られる心配はないと思ったけれど、腕が使えなければ絵は描けない。
 それだけは、避けたかった。

 それから二週間ほどたったある日。
 もう寄り道はしませんと約束させられて買い物に出たスーパーへの行き道で。
 公園の前を通ると、ひまわりの花は無くなっていた。


*****


 テレビから聞き覚えのある楽しげなクリスマスソングが流れ始め、スーパーでも店員が年末恒例の福引券を配り出した頃、父親だと名乗る人がオレを迎えに来た。
 誰も何も言わないから、自分の親はもう死んでいるものだと思っていたので正直驚いた。
「僕の再婚した相手の人が、君を引き取りたいと言って」
 悪びれもせずオレに微笑みかけるこの男性が、自分の父親だという実感は全く湧かなかった。
 ただ自分の顔がこの人にそっくりだったことと、新しい年を迎える準備でどこも浮き足立ち慌ただしい空気が漂う中、行くあても無いので黙って従う他にしようがなかっただけのことだ。
 お前は子供ではないみたいで気味が悪いとしばしば言われたが、オレが子供でないなら、何故自分ひとりでは生きていけないのかと考えてみると。
 それは疑問に思うまでもなく、オレが十一才の何もできない本物の子供だからで、他に理由などない。
 自分を養ってくれる大人の顔色を窺いながら、感情を表に出さず全てを諦めて黙ってついていく以外、オレには自分を生かす道がない。
 ただ、それだけのことだ。
 自分がまだ子供でひとりでは生きていけず、何一つ決めることもできないなら、どこに誰といたって同じことだ。
 オレを親戚の家に預けたまま十一年の間一度も会いに来なかった父親に、本当なら色々言ってもいい筈だろうが。
 憎しみとか悲しみとか、そんな人間らしい単純な感覚すら湧いてこないくらい、オレは昨日までの過去も、明日から先の未来さえも諦めていた。




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あきゅろす。
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