よく聞けば、あんなにみつめ合わなくたってと、タイシはブツブツ言っている。 「えっ、だってさっきの子、まだ子供だよ?」 「あのくらいの年の子供は、すぐに大きくなる」 自分のことは棚に上げて言い切った彼の声に、少し拗ねたような響きが混ざっていると思うのは気のせいか。 もしかして、危ないというよりは焼きもちを妬いてくれているんだろうか。 どうしよう、それなら凄く…… 嬉しい。 「分かった、気をつけるよ。知らない人とはみつめ合わない」 ハルは安心させるために、彼の目を見て約束をする。 「でも“オブシディアン”のファンは別だぞ? ファンだと言ってくれる人はそれだけで嬉しいし、好きになるし、抱きしめたい」 「ハルと“オブシディアン”の皆が、ファンをとても大事にしていることは知っている。あなたの仕事は理解してる。オレはそんな子供じゃない」 返事をしたタイシの声が、やっぱり拗ねていて。 可愛い。 声を上げて笑っては悪いと思い、ハルはくすぐられているのを我慢するような心持ちで、柔らかく彼に微笑みかける。 「大丈夫だよ、タイシ。俺、お前がいないと生きていけないもん」 ハルは心の面でも現実的な生活の面でも、本当のことだからそうサラッと言ったのだが。 言われた方のタイシは、うっと唸って顔を赤くする。 「あなたはまたそういうことを、あっさりと」 彼が赤くなったので何となく照れてしまい、ハルはえへへっと、誤魔化し笑いをする。 そして、 「行こう、タイシ」 タイシの手を引っ張り、ハルは広場から一歩を踏み出した。 その時桜の花びらが一枚、ハルの鼻先を掠めて落ちてきた。 思わず左手で、花びらを掬い取る。 掌にそっと花びらを乗せたまま頭上に顔を向けてみれば、惜しみなく彼らに降り注ぐ今年最後の桜。 音もなく静かに落ちてくる花びらは、まるでサクラが自分に注いでくれた愛情のようだと、ハルは思う。 大人になって人を愛するということを知った今、小麦畑以外には何も無かったあの島に閉じ込められて送った不自由な生活の中で、他人の自分を彼女がどれだけの愛情を持って育ててくれたのか、想像してみることができるようになった。 サクラの愛は惜しみなく音もなく、そうとは気づかないままにハルに充分降り注いだ。 彼女には感謝してもしきれない。 自分もサクラのように持ち得る限りの全てを注いで、タイシを愛したい。 もし、サクラに再び会うことができたら。 真っ先に、タイシを彼女に紹介しよう。 これが俺の愛した人ですと。 サクラは彼の全部を知った上で、 「晴、あなたは素敵な人を好きになりましたね」 と、褒めてくれる筈だ。 「行くぞ、ハル」 行こうと言っておきながらなかなか桜の木の下から動こうとしないハルの手を、今度はタイシがそっと自分の方へと引く。 「うん」 ハルはタイシに手を引かれ、夜の町をゆっくりと歩き出した。 時折吹く強い風。風と一緒に舞い散る桜。 桜が散り終わろうとしている春の夜の空気は、まだ少しひんやりと冷たい。 ハルはもう一度、タイシの手をキュッと握り直す。 いつもは冷たい彼の手は自分と手を繋いでいることで体温が伝わり、ほのかに温かかった。 ハルがタイシを見上げると、彼も見下ろしてくれる。 ハルがニコッと笑いかければ、目元が緩み口元も綻んだ。 タイシの優しい笑顔に見惚れながらハルは思う。 この手は離さない。 世界中の誰よりも何よりも愛しい、タイシの大きな手。 タイシと繋いだこの手だけは、絶対に離さない。 2010.05.04 改訂2011.07.18 再改訂2012.12.17 [*前へ] [戻る] |