住宅街の中には、ベンチがひとつ申し訳程度に置かれている公園とも呼べない小さな広場が何ブロックか毎に設けられていて、どれにも敷地の隅に桜の木が植えられていた。 ハルとタイシは買い物に行く道の途中にある広場の脇に立ち、二本並んでいる大きな桜の木を見上げる。 駅への行き帰りに毎日必ず通る道沿いの広場に植えられているこの桜を、彼らは毎年一緒に見上げてきたのだった。 「今年の桜も、もう終わりだね」 昨晩の嵐のような雨と風のせいで殆ど花が散ってしまった桜の木を見上げていると、突然ゴオーッと強い風が吹いてきて、 「ヒャー」 ハルは思わず身を屈める。 すると身体の上に覆い被さるようにしてタイシが盾になってくれたので、お礼を言おうと風が一旦止んでから身体を起こすと、彼の髪の毛に幾つか桜の花びらがついているのが目に留まった。 吹いてきた強い風に耐え切れず残り僅かな花びらが、ひらひらひら、と二人の周りを舞っていた。 「タイシ、髪の毛に花びらが」 取ってやるよと手を伸ばしたが、身長差が大きくタイシの頭に手が届かない。 届かないと分かるとハルは却ってムキになってしまい、彼の胸に左手をつき右手をできるだけ伸ばして、ピョンピョンと飛び上がってみた。 二十二才の男性とは思えない可愛らしい仕草に一撃を食らい、笑みを堪えて小刻みに震えながらハルを見ていたタイシの口から、遂にプッと笑いが吹き出す。 「あはは、ハル、止めてくれ。腹筋が痛い」 それはそうだろう。 タイシは今、生まれて初めて声を出して笑ったのだから。 使ったことのない腹の筋肉が痛くて当たり前だ。 ハルは一緒に暮らしてきて初めて見た彼の、これが笑顔だといえる顔に驚き動きを止める。 「タイシが…… 笑った」 「あ……」 しかしもっと驚いたのは、タイシ本人だった。 自分の掌で口元を覆い、顔の筋肉を指先でなぞりながら、どこが動いたのか確認している。 「もっと顔、よく見せて」 タイシの顔が隠されてしまったことに焦れて、ハルは彼の手首を掴んでそっと顔から離してやる。 されるがまま口元から手を外し現れたタイシの顔は、夜目にもはっきりと分かるほど赤くなり、困惑の表情でハルを見下ろしていた。 「タイシ……」 もう一度笑った顔が見たいと思ったハルだったが、彼の困った顔を見てしまえば無理は言えない。 しかし、顔を赤くしたまま黙ったタイシが可愛くて愛しくて、我慢ができない。 抱きしめたい。 ハルは初めて駆られた衝動に逆らわず、タイシの頭に両腕を伸ばした。 彼の困り果てた顔を自分の胸に抱きしめて、大丈夫だよと言ってやりたい。 それなのに手が届かないことが焦れったく、気がおかしくなりそうなほどの焦りを感じて伸ばした手が震えた。 ほんの数センチ離れているだけのこの距離が、どうしようもなくもどかしい。 タイシとくっつきたい、できればひとつに混ざってしまいたいと思うほど、気持ちが昂っていた。 これはさっき交わした初めてのキスの、後遺症だろうか? いきなり大胆になってしまった自分にハルが面食らっていると、タイシも同じ気持ちでいてくれるのだろうか、ハルの腰に手を回しぐっと力を込めて引き寄せようとする。 その仕草に、いつもの躊躇う様子がなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |