花繋グ 16

 握った彼の掌は厚く大きく、庇ってくれた背中も自分より遥かに広い。
 タイシが傍にいてくれるだけで、絶対的な安心感があった。
 夕方“エメラルド”の休憩室で皆に心配をかけてはいけないと気を張っていたところへ、会えるとは思っていなかったタイシの顔を見て気が抜けて、つい涙を溢してしまったのはそのせいだ。
 子供の頃憧れていた大きな父親はもう既に別にいる。
 タイシはハルにとって父親とは違う、特別な存在になりつつあった。
 まだ家事の途中で前髪をゴムで縛っているためにはっきりと現れているタイシの顔を改めて見れば、自分をみつめ返す黒い瞳が揺れている。
 それはタイシの瞳に映った、枕元のランプのオレンジの光が揺れているから?
 それとも……




◇◆◇◆◇◆


「ハル」
 暗いリビングのソファーの上で抱きしめられたまま低く名前を囁かれて、ハルは一層強くタイシの胸に顔を擦りつける。
 今の自分の顔を彼に見せるのはまずい。
 鏡で確認する迄もなく、耳朶まで赤くなってしまっていることが分かるほど顔が熱かった。
 胸のドキドキも一向に治まらない。
 必ず迎えに行くと、タイシがハルに約束してから一年半が経っていたが、その言葉はこれまで一度も違えられたことはなかった。
 そればかりか彼は、自分がやらなければならない事を後回しにしてでも約束を守った。
 いつも傍にいて自分を見下ろすタイシの目が出会った時とは違い、とても優しく穏やかになっていることに気がついた時、ハルは彼を誰にも渡したくないと思ったのだ。
 人嫌いなタイシがこんな顔をするのは自分の前でだけのようだったけれど、それなら尚更今のうちに自分だけのものになって欲しかった。
 久し振りに夢にみた懐かしい養い親は、離したくない人ができたらその人には「アイシテイマス」と言うのだと、教えてくれた。
「愛しています」
 そう言えば、相手も自分を愛してくれると。そして繋いだ手を離してはいけないと。
 高校三年になって益々忙しくなったタイシにいきなりでは驚かせるだけかもしれないと躊躇いがあり、彼の卒業を待ってはいるけれど、その彼の胸にすっぽりと収まっている今なら言ってしまっても許されるだろうか?

 タイシは俺を愛してくれるだろうか。
 義兄としてではなく、ひとりの人間として。
 一度も顔を見ないまま死んでしまったデンマーク人の父親や、離れたくはなかったのにお別れを言わねばならなかったサクラや、仕事に忙しくあまり会えない両親とは違い、これからも傍にいて欲しいと頼めば、離れずにずっと一緒にいてくれるだろうか?
 ずっと、ずっと――

「ハル」
 再び自分を呼んだタイシの声が、低く優しくハルの耳に届く。
「来年からはオレも探しに行く」
「え?」
 頑なに顔を見せようとしなかったハルが思わずというように顔を上げたので、タイシの唇がフッと緩んだ。
「サクラさん。必ず見つける。だから泣かないでくれ」
「タイシ……」
 見上げた彼の顔は一年半前のあの時と同じく、家事の途中でハルの世話焼きに回ったために、前髪が束ねられたまま顔がはっきりと現れている。
 その男らしい切れ長の目はハルだけを捉え、ハルしか映っていない黒い瞳が揺れていた。

 オブシディアンの瞳だ。

 彼の端正な顔に見惚れながらハルの頭の隅に、去年のクリスマスにタイシからプレゼントされたオブシディアン―― 黒曜石のペンダントが浮かんだ。






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