実際にはタイシは後ろにハルを連れていて、従業員出入り口の開いたドアにもたれ掛かるようにして立っていた小笠原には見向きもせずに横を通り過ぎると、レストランの裏道の、車道と歩道を分ける白線の上で向き合っていた高遠と中年男に近付いて行った。 そして高遠が腕に抱えていた、中年男がハルへ捧げた大きな花束を無造作に取り上げ、無言のまま中年男に突き返す。 タイシの強い力で花束ごと押され、四、五歩ほども後ろによろめいた男は抗議の口を開きかけたものの、彼にジロリと睨まれ竦み上がり、目を逸らして押し黙った。 タイシは学生服を着てはいても、老成していて高校一年には見えない。 長身から見下ろすように眼力強く睨まれれば、腕に余程の自信がない限り黙って目を逸らすしかないだろう。 そして中年男のその選択は、間違っていなかった。 何故ならタイシには男がひと言でも文句の口を開こうものなら、すぐさま殴りつける準備ができていたからだ。 リーチが人より長い彼は、男にはそうと気づかれずに拳が届く間合いに立っていた。 しかし中年男が幸か不幸か何も言わなかったので、 「チッ」 と、舌打ちをするに留まった。 そしてもう一度、今度は目の前の小さな獲物が追い詰められて、仕方なく自分に飛び掛かって来はしないかと期待を込めて睨んでみたが、男が目を合わそうとしなかったので興味を失くし、背中に庇っていたハルを男とは反対側の自分の左腕で囲うように抱え直すと、ひと言も口をきかないまま駅へと歩き出した。 その間ハルはタイシの大きな身体に隠されて周りが何も見えていなかったのだが、相手からもハルの姿は全く見えなかったに違いない。 中年男はハルに声をかけることさえ、許されなかった。 ……怖えぇ。 普段大人しい奴ほど、キレると怖いというのは真実だ。 いつもの見慣れたヘタレ具合と全く様子の違うタイシを目の当たりにして、ハルを泣かすような真似だけは絶対にすまいと、小笠原はこの時固く心に誓ったのだった。 「ハルに怪我を負わせたことは他のファンの人達には黙っておきますから、もうこれでお帰りください」 恩着せがましく言い、体よく追い払った中年男のしょぼくれた背中を見ながら、高遠は別のことを考えていたようだ。 「義光」 「ん?」 「そろそろ、公式のファンクラブを作った方がいいかしら? 会長に武藤さんを据えて」 武藤は“オブシディアン”が高校生バンドとして“エメラルド”での初演奏を飾った四年前から応援してくれている、駅前商店街の中にある酒屋の店主だ。 まだ五十代前半の筈だが店を息子に譲り、酒屋は今はコンビニエンスストアに生まれ変わって、武藤自身は隠居して悠々自適の生活を送っていた。 “エメラルド”でのライブには真っ先に駆けつけ他のファンの先導を務め、隣街の大きなライブハウスには商店街で働く若者を引き連れて顔を出し、慰安に訪れる先の施設や空港への送迎もしてくれる、ファンというよりは事務所のスタッフに近い、頼りになる人だった。 武藤が“オブシディアン”の公認ファンクラブを作りたいと前々から言っていたのは、小笠原も聞いて知っていた。 それと今日のことと、どういう関係がと小笠原が考えていると、 「“エメラルド”に出入りするファンをきちんと把握して、決まり事を幾つか作らないといけなくなってしまったわね。本当はこんなこと、常識の範囲内で個人に任せたいんだけど」 いい大人がみっともなく熱くなって全く…… と、高遠はここでひとつため息をつく。 「ハルにああいう輩を上手くあしらう芸当は期待できないし。自分が他人の目にどう映っているかなんて、考えもしないんだから。あれではタイシが余りに気の毒だわ。あの子はハルのこととなると、人が変わってしまうから」 [*前へ][次へ#] [戻る] |