花繋グ 9

 休憩室の椅子に座り込んだハルの左手首の少し上には、男が強く握ったために手の形にピンク色のアザが浮かび始めていたが、コック長が、
「大丈夫だよ、晴」
 いつも通りの優しい口調で安心させるように隣に座り、ずっと冷たいタオルで腕を冷やしてくれていたので、人前で泣くことだけは何とか我慢していた。
 そこへ丁度、学校帰りのタイシがレストランに寄った。
 彼は“エメラルド”のパティシエが作る苺のケーキが好物で、持ち帰りのできるスイーツをよく買いに訪れる。
 高校一年になったタイシは電車通学をしていて、レストランは通学の途中の乗り換え駅のすぐ近くにあった。
 通常授業の後にもう一時間余分に授業を受けたために帰りが遅くなり、同じ学校に通っている同級生のユウイチは先に帰宅していていなかった。
「何かあったんですか」
 低く険しい声が外でしたかと思うと、
「ハル」
 タイシが休憩室のドアから顔を覗かせた。
 彼の顔を見た途端、震えて緊張していた身体が緩み、ついでに涙腺も緩んで、ハルはぽろぽろと涙を溢す。
 突然のハルの涙に驚いたタイシが、学生カバンの中を掻き分けティッシュを探しながら部屋の中に入ってきた。
 彼は高校生になっても感情表現に乏しく、同年代の若者のようにはしゃぐこともしない。
 何かあっても顔の表情が変わらないのだが、ハルの腕にできたアザを見た途端顔色を変えた。
 ハルの身に起こったことを悟り無言のまますぐさま外へ引き返そうとするタイシを、ハルはコック長と二人がかりで学生服の背中の裾を掴み、引き留めなければならなかった。
 彼の身体全体から怒気が溢れ出していて、自分達にも部屋の空気を通してビリビリと伝わってくる。
 怖いほどだったが引き留めなければ、あの男に殴りかかっていきそうな勢いだったのだ。
「タイシ、行かないで。うーー」
 ハルが学生服の裾を両手で握りしめたまま泣きながらタイシの背中に懇願すると、彼の動きがピタリと止まった。
「大志、晴は大丈夫だ。肌が白いからアザが少し目立つけど、すぐに消えるよ。ちょっとびっくりしちゃったんだよな、晴は」
 これはまずい、と思ったらしいコック長が一生懸命フォローしてくれて、
「うん、ビックリしただけ。俺、平気、平気だから」
 肩越しに自分を振り返ったタイシの目が据わっているのを確認すると、ハルの涙も引っ込んで、いつもと違う様子の彼をなだめすかした。
「“オブシディアン”のファンが、少し行き過ぎたみたいなんだよ。二人共後は高遠と小笠原に任せて、このまま店の正面玄関から帰れ。な?」
 タイシをこれ以上刺激しないようにと、コック長は気を遣ってくれる。
 しかしタイシは、
「営業中の店の中は通れません」
と、変な所で生真面目さを発揮して、従業員専用の中年男が居座っている裏口から帰ると言って譲らない。
「大志。晴の仕事は人気商売なんだから、我慢しなければならないこともあるんだぞ。行儀の良い客ばかりじゃないからな。これからは俺たちも晴がひとりにならないように気をつけるから、今日は大人しく帰れ。な?」







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あきゅろす。
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