花繋グ 8

 タイシは前髪を長く伸ばして、顔を隠していた。
 それは顔を人に見られたくないのと、人と目が合うのを避けるためらしいのだが、隠れている目付きがまた酷く悪かった。
 しかも極端に口数が少なく全く笑わない。
 ハルは少し怖いと感じたが、自分は兄さんになったのだからしっかりしなくてはと思い直して接するうちに、タイシはくっついて離れなくなった。
 実の父親にさえ懐こうとしない彼が、苦手な人がいると自分の背中の後ろに隠れに来る。
 小学五年のタイシは中学三年とはいっても、痩せていてそれほど大きくはない自分の背中に隠れることができるほど、まだ身体が小さかった。
 その頃にはタイシはハルにだけぎこちない笑顔を向けるようになり、笑えばきつい目付きも和らぎ、ポツポツとお祖父さんの話もしてくれるようになっていた。
 このことはハルを、バンドのライブでステージに上がりスポットライトを浴びるのとはまた違う、今までにはちょっとないいい気分にさせてくれた。
 こういうことを、日本語で優越感と言うのだろうか。
 ハルがのほほんと小さな幸せを噛み締めている間に、タイシはみるみる背が伸び始めあっという間に追い越され、「兄さん」と子供特有の高い声で呼ばれていた呼び方も、いつしか「ハル」と低い大人の男の声に変わっていった。



 それから五年後の、ハルが二十歳になった秋のある日のこと。
 レストランの仕事が夕方遅くに終わり、従業員専用の出入り口から暗くなりかけた外へひとりで出ると、大きな花束を抱えた見知らぬ男が立っている。
 今日は“エメラルド”でライブも無かったし、まさか自分の出待ちだとも思わず、そのまま駅に向かって通り過ぎようと男のすぐ横まで行った時、いきなり腕を掴まれた。
 眼鏡を掛けていて小太りで、ハルとそう変わらない身長の見覚えのない中年の男だった。
 ハルは知らなくても仕方がないことなのだが、いつもはその他大勢のファンのひとりにすぎないその男は、ハルの茶色の瞳に今は自分だけしか映っていないことに酷く興奮していた。
「ハル君みたいに綺麗な人を見たのは初めてだ。物凄く好みなんだ。何でも奢るから、今から美味しい物でも食べに行こうよ」
と、地域で一番人気のレストランの裏口に立ち、食事の誘いを早口で捲し立てる男に、
「バンドのファンの人とは個人的に付き合ってはいけないと、事務所に言われているから」
 最後には、
「義弟が夕飯を作って家で待っているから」
 いくら断っても、聞き入れてもらえない。
 思いの外強い力でグイグイと腕を引っ張られ連れていかれそうになっているところに、“エメラルド”の夜の部の仕事に来た小笠原が道の向かい側の駐車場にタイミング良く車で入って来て、ハルの身に起こっている異変に気づいたのだった。
 車を乱暴に停め慌てて飛び降りてきた小笠原の、普段は目尻が下がって優しそうな顔が引きつり蒼白になっているのを見て、ハルはやっと事の重大さに思い至ったのだ。
 何とか中年男から腕が解放されて“エメラルド”のバックヤードまで引き返し、出入り口で小笠原と、向かいのオブシディアン事務所から駆けつけてきた高遠と、その男との間で押し問答が繰り返されるのを聞きながら、ハルは身体の震えが止まらなかった。





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あきゅろす。
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