この気持ち 16


 晴を家に送り届けた後トンボ帰りをし、もう一度オブシディアン事務所の駐車場に車を停めた小笠原は、ふと思い立ち、レストランに戻る前に隣の練習倉庫に向かった。
 まさかと疑いながら倉庫のドアに手を掛けると、鍵が開いている。
「タカの野郎、俺が祐一に速攻振られるの、前提かよ」
 高遠を罵りながら身体の分だけドアをスライドさせ、中に滑り込んだ。
 左右の壁の天井に近い所に窓が並んでいて、そこから外の灯りが入ってくるため、倉庫の中はほんのりと明るい。
 小笠原は入口近くで立ち止まり、白い息を吐きながら中を見渡した。

 ここが俺のホームだ。

 まだ倉庫が高遠の父親の会社の物置だった頃、空いているスペースを無理を言ってドラムの練習に使わせてもらってから、十年が経つ。
 そのうち晴と亮太と前原がやって来て、高遠をリーダーに“オブシディアン”のバンド活動が始まった。
 大志と祐一に初めて出会ったのも、この倉庫でだ。
 曲がつまらん、ギターが下手だとけなし合い、あのパフォーマンスは満点だったと肩を叩き合い、初めて出したCDのジャケットの絵の見事さに目を奪われ、自分の身体にピッタリと合った衣装に誇らしい気持ちで袖を通し、この十年などあっという間に過ぎてしまった。
 十三才だった小笠原は、二十三才になった。
「俺、あん時のアンタの年になったよ…… 先生」
 小笠原は顔もぼんやりとしか思い出せなくなってきた、初恋の人に向かって呟く。
 二十三の今なら、あの時あの人が十六だった自分を捨てて逃げ出した理由が分かる。
 耐えられなかったのだろう。曲がりなりにも男であり教師という立場の人間が、社会の常識から外れていってしまうということに。
 しかも相手はまだ高校生だ。
 何年もしないうちに、心変わりをするかもしれない。
 自分が、小笠原のこれからの将来を駄目にしてしまうかもしれない。
 逃げたくなって当然だ。

 でも、俺は逃げない。

 祐一を、本気で幸せにしてやりたいと思えるようになったから。
 嬉しい時も辛い時も、いつも傍にいてくれる仲間がいるから。
 あの人のことは、もう忘れてしまっていいのだという気がした。元気でいてくれれば、それでいい。
 俺は祐一と仲間達と一緒に、これからの未来を生きていこう。
「先生、バイバイ」
 自分のこの気持ちに納得がいき、暖房の入っていない寒い倉庫からそろそろ出ようと踵を返した小笠原の頭に、突然曲のフレーズが浮かんだ。
 それはすぐには鳴り止まず、何度も何度も頭の中で繰り返し響き。
 そして―― 一曲の歌になった。



◇◆◇◆◇◆



「――はい。では次は“オブシディアン”最後の曲、今日の“エメラルド”バレンタインコンサート、最後の曲です」
 三曲目を歌い終わり拍手が止んだところで、レストランの制服に身を包んだ晴が、スタンドマイクの前でにっこりと客席に笑いかける。
 レストラン“エメラルド”で開かれたバレンタインコンサートで、“オブシディアン”は今日のトリを務めていた。
 今年のバレンタインデーは偶然日曜と重なり“エメラルド”の二百ある席は満席で、尚店内は立ち見客で溢れ返っている。
 円形の低い舞台が良く見えるVIP席には、晴と大志の両親、雨以と大成の姿もあった。
 一日中満員状態の店の仕事を、自分達の出番ギリギリまでこなしていたため着替えが間に合わず、オブシディアンメンバーの今日の衣装は制服のままでということになった。
 ベースの前原はこのレストランで働いてはいないのだが、今日だけ特別にオーナーの許可を得て、借り物の制服を着た。
「この曲は“オブシディアン”の新曲です。ドラムの小笠原が、今日のバレンタインのために心を込めて作りました」
 ピューピューと客席から指笛が鳴り、小笠原がドラムスティックを握ったまま、左手を上げて声援に応える。
「えーと、今井祐一君」
「へ?」
 ステージに立っている晴に突然マイクを通して呼び掛けられた祐一は、思わずその場から後ずさった。




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