この気持ち 6

 しかしそのお陰で小笠原は恋人を作ることにも、付き合っている時も、そして別れることになった時にも、さして苦労をした記憶が無い。
 だからこの音大生―― 西村と別れる原因になった今井祐一の存在は、小笠原にとって頭の痛いものだった。
「で、今の恋人とは、上手くやってんの?」
 訊かれたくないことを遠慮なく訊ねてくる西村に、
「お前、カウンターに触るな、手垢がつく。ピアノんとこ戻れよ、もうすぐ開店だぞ。練習しなくていいの?」
 小笠原はわざとらしく、大理石でできているカウンターを磨き始める。
「ホント嫌な男だね、アンタって。そういう優しさの欠片も無い自分勝手なとこが、顔と真逆でいいって思ってた時期もあったけどさ。それでも口煩く心配だけはしてくれるんだね。お陰さまで大丈夫、今日はランチタイムの時間から弾いてるし、今ハルとセッションの練習終わったばっかだから」
 気を悪くしたらしい西村は言いたいことだけ言うと、さっさとピアノの前へ戻っていった。
 西村の専門はジャズピアノだ。
 “エメラルド”で演奏するようになって二年にはなるから、腕前は確かだ。
 小笠原も客に請われるままに、彼とドラムでセッションしたことがあった。
 ただ小笠原の打つドラムは、彼の性格そのままに一分の狂いもなく機械のように叩かれるものなので、スイング(揺らぎ、揺れ)やアドリブが要求されるジャズ向きではない。
 反対に晴はアドリブ大好き、歌っている最中に客の顔つきやその場の空気を感じ取って歌に乗せるので、西村も気に入りセッションの回数も多い。
 そして客からリクエストされれば配膳の盆を置き、ホール係の制服姿のままピアノにもたれて歌う晴の姿を見たさに、足繁く通ってくる客が多いのも事実だった。

 そういえば晴はさっき休憩室にも来なかったし、何処に行ったんだ?

 ふと小笠原は考えたが、晴が一つ所にじっとしていないのはいつものことなので、あまり気にせずにいると、
「オガ先輩」
 その晴が、怖い顔をしてこちらに早足で歩いてくる。
 彼が怒ることは滅多にないので、これはヤバイ、この前大志の非童貞を暴露したのがやっぱりいけなかったのかと思い、
「晴さん、ごめん、ごめんなさい!」
 人の話を最後まで聞かず先走る癖のある小笠原は、この通りですと彼を拝む。
 それを見ていた西村が、アンタでもそんなことするんだと驚いた顔をしたのが分かったが構うものか、晴を怒らせるとバンド活動の危機を迎えることになる。
「やっぱり」
 小笠原に拝まれても動じない晴は、バーのカウンターの前まで来ると腕を組んだ。
 晴をはじめとして祐一や、勿論小笠原もだが、ここ“エメラルド”で働く彼らは高遠親子の厳しい礼儀作法の教育を受け、生き残ってきた者達なので、日頃から店内を走ったりカウンターに手をつくような真似は決してしない。
 それは店の中だけでなく日常生活に於いても同様で、挨拶や言葉遣い、何気ない動作も礼儀正しく育ちの良さを感じさせ、とても好もしく誰からの評判も良かった。
 “エメラルド”が音楽の生演奏が聴けるからだけではなく、従業員がイケメン揃いだからだけでもなく、老若男女を問わず地元で一番人気のレストランであるのには、それなりの理由があるのだった。




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あきゅろす。
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