この気持ち 5

 そしてとうとう小笠原と二人きりでいることに耐え切れず、祐一は大粒の涙を零しながら休憩室から出ていってしまった。

 バタン!

 大きな音をたてて閉まったドアを引き留めることなく見送り、
「なんだ…… 何なんだよ、全く」
 小笠原はため息をつきながら、その場にしゃがみ込み膝を抱える。

 どうしてあんな高校生のガキ相手に俺が赤くなったりドキドキしたり、ムカついたりイライラしたりしなければいけないのか。
 あんなに泣くことないだろ男の癖に、と思う一方、彼を泣かせてしまったこの後味の悪さは何だ?

 膝を抱えたまま床に目を移すと、窓から日没寸前の夕陽が射し込み淡いオレンジ色の光が遠慮がちに自分を包み込んでいて、ドアに向かって長い影を作っている。
 まるで自分の影が、泣きながら出ていった祐一を追いかけているようで。
 笑っていいものやら、いっそ泣いてしまった方が楽なのか、それさえも分からず困惑した小笠原は、自分の胸に芽生えたこの気持ちを持て余し、ハァーッと、長い息を漏らした。


*****


 レストラン“エメラルド”のバーカウンターは、店の南側の壁全部を使って作られている。
 肘掛けと背もたれの付いた革張りの椅子が二十脚、ゆったりと横一列に並んでいて、ここで酒を飲む客は店のホール中央に設けられた舞台に背を向ける格好で座る。
 カウンターに座った客が正面に見る壁には、様々な色と形をした酒のボトルが磨き込まれたグラスと共に並べられており、バーテンの趣味の良さと几帳面さを伺い知ることができるようになっていた。
 勿論カウンター以外の客席に出す酒も、このバーで作られる。
 カウンターの中にバーテンは多い時で三人いるが、開店直前の今は小笠原ひとりだった。
 開店前の下準備をある程度済ませ念入りにグラスを磨いていると、カウンターの向かいに置かれた黒いグランドピアノに座っていた青年が立ち上がり、
「義光(ヨシミツ)」
 小笠原の名前を呼びながら寄ってきて、カウンターに肘をついた。
 先程の祐一との一件で機嫌の悪い小笠原は、チラと彼に目を向けはしたが、グラスを磨く手は止めず返事もしない。
「相変わらず冷たいね、義光。それが久し振りに会った、元恋人に対する態度? ……まぁ、アンタらしいけど」
 苦笑を漏らしながらそう言う青年は、地元の音楽学校に通う学生で小笠原よりひとつ年下だ。
 彼とは確かに身体の関係はあった。
 しかし会えばホテルに直行しセックスをするだけで、街に出てデートをしたわけでもなく、何かプレゼントを買ってやった記憶も無い。
 小笠原にとって彼は恋人というよりは、セックスフレンドと言った方が正しいだろう。
 この青年と寝る気がしなくなり、本当に珍しいことに別れを小笠原の方から切り出して、間もなく一年になるだろうか。
 彼も彼で別れ話を簡単に受け入れ、その後は小笠原とは何事もなかったように、こうしてレストランの仕事で顔を会わせた時にだけ気安く声をかけてくる。
 つまりはただそれだけの関係だったということだ。
 小笠原は、高校一年の時にある男性に大失恋をして以来本気で人を好きになったことが無く、誘われるまま気の向くまま、後腐れの無さそうなこの音大生のような男を選んで付き合ってきた。
 彼らだって背が高く目尻の下がった、パッと見はとても優しそうな小笠原の見映えのする外見と、誰にも本気にならずその場限りでもOKという、その道の噂を聞きつけ近寄って来るのだからお互い様だ。




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あきゅろす。
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