レストラン“エメラルド”はオーナーの趣味で、音楽や芸術活動をしている地元の若者達の支援に力を入れている。 客席数二百を越える広いホールの真ん中に円形の舞台があり、ロックからクラシック音楽、フラメンコなどの舞踊、変わったところではフライパンを使った打楽器パフォーマンスなど、パフォーマーが大勢の客の前で自分の実力を披露できる、腕試しの場が設けられていた。 それを目当てに訪れる客達は誰もが芸術好きを自負していて、皆押し並べて目も耳も肥えており、世界で一番厳しい評論家の役割を果たしていた。 “オブシディアン”はその中で、小笠原がまだ高校生だった五年前の初演奏から評判を呼び、徐々に人気が出始め固定のファンがつき、地元のFMラジオ局に取り上げられるようになって、二年前にインディーズデビューしたのだった。 “エメラルド”で働いていれば、バンド活動もできて安定した収入もある。 小笠原達メンバーにとってここは一石二鳥の職場であり、レストランオーナーと事務所の社長の高遠親子には、とても感謝をしていた。 ***** 小笠原はオブシディアン事務所の駐車場に車を停め、道路を大股で横切ると、 「おはようございまーす」 挨拶をしながら、従業員出入り口を開けた。 出入り口の右手には広い厨房があり、反対の左手には従業員の休憩室がある。 夜の部の料理の仕込み作業真っ最中の、さながら戦場と化している厨房を尻目に、左手の休憩室のドアをもう一度おはようございまーすと、挨拶しながら開けた。 休憩室に誰かいようがいまいが、挨拶はする。 バンドリーダーの厳しい躾の賜物で、これはもう習慣だ。 何気なくドアを開けると部屋の中央にあるテーブルの端で、ハッと息を呑む気配がした。 気配に目を上げるとそこには小笠原の物思いの相手、今井祐一。他には誰もいない。 彼はレストランの制服に身を包んでいる。 「おは、おはようございます……」 祐一は普段はオブシディアン事務所の衣装部にいて、バンドメンバーや芸能部のダンスの先生、紫狼(シロウ)の教室で使う衣装を作っているのだが、学校の長期休暇やレストランが忙しく人手が足りない時は、こちらの手伝いもする。 小笠原が事前に確認したシフト表に彼の名前は無かったので、今日は助っ人の口だろう。 いつもハキハキとした口調の祐一は、小笠原の顔を見ると消え入りそうな声で挨拶を返したきり、そっぽを向いて黙りこくっている。 その横顔が、心なしかうっすらと赤かった。 普段の祐一は高校二年にしては口は達者だが仕草は子供っぽく、晴と一緒にいる時などまるでペットショップのゲージの中でじゃれあっている二匹の子犬のようだったが、レストランの制服を着てテーブルに頬杖をついて黙っている姿は、いつもより大人びて見える。 彼は自分のことを、いつも何かと標準ですだの、平均ですだのと評しているが、なまじ目や鼻や口が標準な分、それらが並ぶとすっきりと整った顔になり制服もよく似合う。 何事にも計画を立てその通りに動いたり、物がピッタリと在るべき所に収まっていないと気の済まない几帳面な性格をしている小笠原にとっては、好もしい容姿をしているのだ。 祐一がまさか休憩室の中にいるとは思わず、しかも自分を意識しまくっている癖に、そっぽを向いて顔を赤くしていることに気づいた小笠原は、ドキッとときめいて動きを止める。 ドアノブに手を掛けたまま、いつまでも中に入ってこない小笠原を、祐一が怪訝な顔で見た。 二人バチッと目が合い、途端に小笠原はボッと、顔から火が出るような感覚を味わう。 何だ何だ、何なんだ、これは。 こんな感覚に陥ったことは生まれて初めての経験で、小笠原は戸惑ってしまう。 |