松浦大志の主夫的な一日 2

 それでもハルに頼まれていたポテトチップスだけは買わねばと、沸き上がってくる不安を必死に押さえつけ、菓子コーナーまで行くと。
「あ、松浦先輩!」
 先に菓子を選んでいた女子中学生に名前を呼ばれ、ビクッと震えが走る。

 ――ねえ、どうする、どうする?
 ――先輩に話しかけるチャンスじゃん。取り敢えず、おめでとうとか言おうよ。

 肘でつつき合い、何やらコソコソと話し合っている彼女らには気づかない振りをして、一番近くにあったポテトチップスの大袋を掴み取ると、オレはカートを押してがむしゃらにレジへ向かった。
「あ、逃げた!」
 女の子が慌てて叫んだが、知ったことか。
 何もめでたくはないし、オレに女子中学生の知り合いなどいない。

 なんとか彼女らから逃げ切り、息を切らせてレジへと滑り込んだオレだったが。
「あら、松浦君」
 またしても名前を呼ばれ、軽いパニックに陥りそうになる。

 もう、よしてくれ。
 今日は一体、何なんだ。
 オレが何をしたというんだろう?

 相手から自分の顔が見えないように、また自分も相手の顔を見なくて済むように、長く伸ばしている前髪の隙間から、ビクビクしながら声の主を窺い見る。
 結果、思いがけず知った顔に出会って、オレはやっと一息ついた。
 それはうちのお隣の、丹羽さんだった。
 彼女はまだ新婚さんで、家事があまり得意ではない。
 結婚を機に家を買い、引っ越してきたばかりで近所に親しい人も無く、隣のよしみで尋ねられるままに、ゴミの分別の仕方とか、簡単に作れて美味いおかずのレシピを教えたりしているうちに親しくなった、いわゆるオレの主婦(夫)友達だ。
 そういえば最近、このスーパーで昼間のレジ打ちのパートを始めたと、言っていたような。
 声の主が知り合いだったことにほっとしていると、丹羽さんまで、
「うふふ、おめでとう。今朝の新聞見たわよ。やっぱり松浦君って、凄い人だったのね」
 と、仰る。

 ……新聞?
 今日の朝刊が家に無かったので、オレはまだ新聞を読んでいない。
 何が載ってるんですかと訊きたかったが、仕事中の丹羽さんと話し込むわけにはいかず、
「はあ…… まぁ、どうも」
 何とも曖昧な返事をして、スーパーを後にする。



〈午後三時頃〉

 エコバッグ一杯に食材を詰め込んで、誰にも会いませんようにと祈りながら、早足で家路に就く。
 スーパーでの災難は、どうやら今朝の新聞が元凶だということは分かったが、家に新聞が無いので確認のしようがない。
 こんなわけの分からない不安な気持ちの時は、無性にハルが恋しくなる。
 あのしっとりした甘い声で、
「タイシ、大丈夫だよ」
 と、優しく言って欲しい。
 ハルの今日のレストランの仕事は早番なので、帰りも早い。
 帰ってきたらリビングのソファーの上で、いつものようにゴロゴロするだろうから、その時さりげなく隣に座って、隙をみて横になり、あの人の股を抱え込んで膝枕をしてもらおう。
 オレが体重を預けてしまえば、華奢なハルのことだ、嫌でも逃げることはできないだろう。
 よし、何だか少し元気が出てきたような気がするぞ。

 しかし自分の家が見える所まで来た時、オレの少しの元気もたちまち萎んでしまった。
 何故なら家の前に、赤いマーチが停まっていたからだ。車はハルのバンド仲間で、同じレストランで働く義光さんのものだ。
 義光さんはオレの狭い交友関係の中で、真っ先に名前の挙がる人だが、こんな時間に彼が一人で家に来たことは、今まで一度もない。
 ハルが車で送ってもらうにしても、時間が早過ぎる。
 もしやハルに、何かあったんだろうか?
 悪い事はドミノ倒しのように、連鎖反応を起こすものだ。オレは子供の頃に、それを身をもって経験している。

 ハル!

 オレの早足が、ダッシュに変わる。
 家まであともう少し。




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あきゅろす。
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