恋、願わくは 終

「亮太」
 晴が行ってしまうと、今まで黙っていたコック長がゆっくり近づいてくる。
「なに?」
 焼きもち、妬いてくれたんだろうか?
 俺は期待に緩みそうになる頬の筋肉を引き締め、仕事中の真面目な顔を作って彼を見つめた。
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。お前はいつまでたっても蝶々結びが苦手だね。ほら、結んでやるから。ウーンしてごらん」
 ナンパされた話は聞こえなかったのか。それともやっぱり、俺が誰かに声をかけられても平気なのか。
 がっかりして下を向きそうになるところをぐっと堪え、言われた通りウーンと顎を上げる。
 反対に目線だけは下げて、コック長の様子を窺ってみるが、残念なことに目を伏せた彼の表情は穏やかなままだ。

 コック長は三十一才。俺より九つ年上だ。
 身長百七十三センチ、痩せ型の俺と似たり寄ったりの体格で、晴のように綺麗な顔をしているわけではない。
 おっとりと控え目な性格をしているけれど、“エメラルド”に入店して僅か五年でコック長に昇格した、腕の良いシェフなんだ。
 初めてコック長に会った時まだ中学生だった俺は、俺の子供っぽいイタズラに、いちいち青くなったり赤くなったりする大人らしからぬ反応が面白くて、彼にちょっかいばかりかけていた。
 八年も一緒にいるとそれが習慣になってしまって、コック長への好きを自覚してからも、なかなか悪ふざけが止められないんだけど。
 そうかといって自分の気持ちをなりふり構わずアピールするほど、俺はもう子供じゃない。

 そんなことを考えながら尚も見つめていると、
「ほら、できた」
 慣れた手つきでリボンを結び終えたコック長が、ポンポンと優しく俺の喉元を二回叩いた。
「へへっ。ありがと、コック長」
 複雑な思いは胸のうちにしまって、俺はコック長に笑いかける。
 すると突然、コック長が上目遣いに俺を見た。 
「人見知りしないのは亮太の良いところだけどな。誰にでもそうやって無防備に笑いかけるから、軽々しくナンパなんかされるんだぞ」
「ン?」
「この後あの女性と遊ぶ約束、してないだろうね?」
 拗ねたように言うコック長があまりに可愛らしかったから、いつものイタズラ心が半分、本気が半分。
 今はまだこのくらいの割合が、お互いに丁度いいのかもしれない。
 俺は添えられたままのコック長の手を自分の喉元から引き剥がすと、改めて握り直した。
「そんなに気になるなら、あのお姉さんより先にアナタが俺を、お持ち帰りすればいいんじゃない? ……ね、起善(キヨシ)さん」
 真っ赤になって何も言えないでいるコック長に、今度こそ本物の笑顔を振り撒いた。

 少しずつでいい。
 こうやって少しずつ俺のことを大人の男として意識して、気にかけてくれればいい。

 そして乞い願わくはどうか俺を、近い将来アナタの恋人にしてくれますように――




  2010.10.11
改訂2014.08.18

※コック長の名前は、泉 起善(イズミ キヨシ)といいます




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あきゅろす。
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