My sweet baby 終

 祐一は息を継ぐと、枝に縛りつけた落ち葉を見上げて微笑んだ。
「オガ先輩は口は悪いですけど、意外に繊細で寂しがり屋ですもんね。誰かが傍についててあげないと」
「意外には余計だ」
 祐一の笑顔につられて、義光も思わず落ち葉を見上げた。
 薄い水色の空に映え、真っ赤な葉が一枚、木枯らしに耐えて揺れている。
 もしかしたら、あの人が置いていった蔦の葉の栞も、そういう意味だったのだろうか。
 成人男性を半ば強引に自分のものにし、挙げ句の果てに職まで失わせて、取り返しのつかないことをしてしまったと思うのに、何もかも放り投げて逃げ出されては、義光も意固地にならざるを得なかった。その癖、あっちが俺を捨てたんだ、被害者は俺だと思い込もうとしても、枯れた蔦の葉が心の中でカサカサと乾いた音をたて、恋人を追いかけ許しを請わなかった義光を苛み続けたのだ。
 それが本当は、あの栞は当てこすりなどではなく、自分がいなくなった後の義光のことまで心配して残していった、恋人の密やかな想いだったとしたら。
 義光が愛した人は、自分が濡れるのも厭わず他人に傘を差し出すような、呆れるほどのお人好しではなかったか。だから放っておけなかった。
 だからこんなにいつまでも、忘れられない。
「ごめん、ごめんな…… 先生」
 震える唇を動かすと、風に煽られた枯れ葉が小さく揺れる。
「クシュン、クシュン!」
 それと同時に、同じ風を受けた目の前の祐一がくしゃみを連発した。
 座ったままだった義光は、苦笑を浮かべながら祐一に視線を移す。
「そろそろ戻るか、祐一」
 義光は勢いをつけてベンチから立ち上がった。
「はい。先輩、結構冷えましたよね。スタジオに戻ったら、熱いコーヒーを淹れますね」
「俺は日本茶がいい。祐一、お前な。デキるスタッフを自負するなら、いい加減俺の好みくらい覚えろよ」
「ふふふっ」
 笑いながら練習スタジオに向かう祐一の背中を追いかけ、義光は確かな足どりで歩き出した。もう落ち葉を眺めて憂鬱になることはないだろう、と思いながら。


****


「ここにいたのか。焦ったよ。途中で嫌になって、帰ったのかと思った」
 息を切らせて近づいてきた男に向かって、彼は銀縁眼鏡の奥の目を瞬かせて訊ね返した。
「どうして? 楽しみにしてたのに」
「どうしてって…… 俺が、初デートだなんて言ったから」
「いくら僕だって、君の誘いがどういうものなのかは、最初から承知してるよ」
 頬を染めて俯いた彼のしぐさに安堵の息を漏らした男は、その手に握られている物に気づいて思わず覗き込んだ。
「それって“オブシディアン”の新譜?」
「うん。インディーズバンドのCDは、この大きいショップにしか置いてないだろ。そろそろ新しいアルバムが出る頃かなって、気になってたところだったんだ。来て良かったよ」
 彼も男と一緒に、手元のCDをみつめる。
「あれ、でもさ。こいつらのCDジャケットの絵って、一枚目がひまわりだったろ。二枚目は桜で、三枚目がコスモス。四枚目は」
「カキツバタ」
「そうそう。ずっと花シリーズできてたのに、今回は…… 葉っぱ?」
「これは、蔦の葉だよ」
 言って彼は、改めてジャケットの表紙を眺めた。
 両手で持った十二センチ四方の画面一杯に、青い蔦の葉が生い茂っている。
 若く瑞々しい蔦は、それでも足りずに葉をつける場所を求めて上へと上へと蔓を伸ばし、生きる逞しさを力一杯主張していて、堂々とした気持ちのいい絵だ。
「この左下の葉っぱ、一枚だけ赤いんだな。なにか意味があるのかな」
 見たままの感想を口にした男はその証拠に、さあどうだろうと彼が答える前に腕時計を確認し、ひとりで慌て出す。
「まずい。急がないと、映画が始まっちまうぞ。早く会計済ませてこいよ、ここで待ってる」
「うん」
 促された彼は、小走りに店の奥のレジへ向かった。
 気をつけていても、口元が自然にほころんで元に戻らない。
「小笠原。お前は本当に、格好いいよ」
 宝物のように抱えられた蔦の葉が、彼の胸の中で音もなく揺れた。


2013.11.10





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