My sweet baby 23

「そりゃ言ったけど…… でもあれは言ってみただけで、あん時はああ言うしかなかったし…… 普通分かんだろ、自分が慰められてるのくらい」
 校長をこれ以上がっかりさせたくないと思うのに、義光の口をついて出てくるのは言い訳ばかりだ。
「普通とか常識なんてもんは何の役にも立たん代物だと、俺は教えなかったか? 物事の捉え方は人それぞれなんだよ、義光。噂に怯えた先生は、お前の嘘を真に受けた。逆にお前は、日頃誰も信用しないと言っておいて、先生の嘘を信じただろう。どっちが悪いわけでもないんだよ。お互いを思いやってついた嘘に、お互いが引っかかったんだ」
 言われた義光は、疑念の眼差しを校長に向ける。
「先生の、嘘……?」
 では義光が十八になるまで待つと言ったのも、初デートは映画を観に行こうと言ったのも、全部嘘だというのか。
 その気もない癖に、俺を騙したというのか。
「今度はどんなに脅されたって、実家の住所は教えないからな。先生はお前が学校を辞めずに済むように、自ら身を引いてくださったんだ。お前も先生のためを思うなら、諦めて探すのは止めなさい」
「そんなの誰も頼んでない」
 唇をきつく噛みしめた義光に校長は困ったように眉を下げると、上着の内ポケットをまさぐり始めた。
「本当は、日を改めて渡そうと思ったんだが」
 言いながら、一枚の紙切れを差し出す。
「何だよ、これ」
「先生からお前に、だそうだ」
 義光は裏返しにされた紙を校長の手から取り上げると、慌ててひっくり返してみた。
 それは、一枚の落ち葉を挟み込んで作った栞だった。手のひらに収まるほどの大きさの葉は赤く色づき、切り込みの入った先端が三つに分かれている。
 蔦の葉だ。
 閃いた瞬間、義光は弾かれたように駆け出した。
「待て、義光。義光!」
 自分を引き止める校長のがなり声は、すぐに遠くなる。
 義光は上履きをつっかけたまま、夢中で学校を飛び出していた。


 荒い呼吸を整えるために膝に手をつき二つに折っていた上体を、ゆっくりと起こす。
 小さなアパートの二階の角部屋を義光が下から見上げると、玄関ドアは開け放たれていて、作業着姿の複数の男性が剥ぎ取った壁紙や床板を運び出し、新しい住人を迎えるためのクリーニング作業に取りかかっていた。
 恋人はとっくに部屋を引き払った後だった。
 義光はその場に佇み、坦々と進む作業をみつめる。
 なにが身を引いた、だ。笑わせるな。
 恋人は我が身が可愛かっただけで、人からゲイだと後ろ指をさされるのが怖くなり、俺を噂の真っ只中に置き去りにして逃げたのだ。
 捨てられたんだ、俺は。
 あの部屋の壁紙同様、断りもなく引き剥がされてゴミ箱行きだ。たった四月(よつき)足らずの思い出など、新しい物に張り替えられて、恋人にとっては初めから無かったことになる。
 義光は強く拳を握りしめた。
 手のひらの中で、一葉の栞がぐしゃりと音をたて、無惨に形を変えた。




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あきゅろす。
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