花眺メル 9

 
 舞台下の床に、正面に向かって長机とパイプ椅子が置かれ、そこに音響さん、カメラの監督さん、照明の監督さん、ダンスのシロウ先生、手の空いたスタッフ数人が座った。
 松浦は後ろの観客席の定位置に、僕は舞台の下手(シモテ…客席から見て舞台の左側)のソデの中で待機だ。
 手にはお裁縫セットをしっかり握りしめて、いつ何があっても即座に対応できるように身構えている。
 けれど本番でもないのに、あー、緊張する。
 しかも僕が踊るわけでも、歌うわけでもない。
 それなのに、あー、妙に緊張する。
 僕の隣ではみっちゃん先輩が、天を仰いで深呼吸を繰り返しているし。
 そうして僕の緊張がピークに達しようとしていたその時、不意に松浦のお義兄さんに手を握られた。

 え、何?

 と思う間もなく、僕をにっこりとみつめながらお義兄さんは言った。
「みんな、隣の人の手を握って。握ったら俺を見て。……いい? あんだけ練習したんだから、大丈夫、いけるよ。不安になったら、俺を見て。みんなの前にいるからね。もし失敗しても、しまったという顔はしちゃダメだぞ。頭を切り替えて次にいくこと。よし、みんな―― いくぞっ!」
「おー!」
「いくぞっ」
「おー!」
「いくぞっ」
 つられて僕も、お義兄さんに笑顔で返事をする。
「おー!」
 その直後、反対側の上手(カミテ)のソデの中からも、
「おー!」
 威勢の良い雄叫びが上がった。


「はい。では、ゲネプロいきまーす。3、2、1……」
 スタッフのGOサインが出ると、松浦のお義兄さん、晴さんが、スポットライトの真ん中へ勢いよく飛び出して行く。
「初めましての人も、何回目かの人も、こんにちはー! “オブシディアン”でーす!!」
 それを合図に、他のみんなも一斉に舞台に飛び出して行く。

 さあ、ショーの始まりだ。

 あのスポットライトの中に立たなくても、舞台を一から作り上げる過程がこんなにも楽しくて。
 大勢の人の頑張りの末に完成させたショーをソデの中から見ることができて、こんなに満足な、いい気分が味わえるなら。
 これを仕事にするのも悪くないと、色とりどりのライトを浴びて楽しそうに歌って踊る晴さん達をみつめながら、僕は本気で考えていた。


*****


 T高の文化祭本番が大盛況のうちに終わった後日。
 打ち上げ会に呼ばれた僕に、今まで抱えていた疑問の答えが全部返ってきた。
 晴さんがボーカルのロックバンド“オブシディアン”は、バンド音楽好きな人達の間では大変有名なバンドだということ。
 既にインディーズデビューが決まっていて、晴さんとギターの亮太さんの高校卒業を待って、PV付きのデビューアルバムを出すこと。
 そのPVの撮影を、この間のビデオ制作会社が担当していること。
 僕がもうひとつ驚いたのは“オブシディアン”というのはバンド名だけじゃなく、タカ先輩が代表を務めるプロダクション会社の名前でもあったことだ。
 『企画オブシディアン』という。
 練習に使った体育館のようなスタジオは会社の持ち物で、事務所は隣にある一軒家。そこは元々、タカ先輩のお祖父さんの家らしい。
 そして練習スタジオの斜め向かいにある、今日の打ち上げ会場の“エメラルド”という名前のレストランは、タカ先輩のお父さんがオーナーを務めていて、練習で差し入れられていたサンドイッチとかの軽食は、全てここから運ばれていたそうだ。
「すごい……」
 僕が呟くと、
「まあ、まだ立ち上げたばっかりの、有限会社なんだけどねぇ。メインのロックバンドも、デビューさえしてないしねぇ」
 頬に手を当てながら、小首を傾げてタカ先輩が言った。




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