抱き寄せた耳元にわざと低音で囁くと、何が起こったか咄嗟に理解できず、義光の胸の中で息を詰めていた教師は、我に返って暴れだした。 「さ、誘っ!? ちがっ、僕はそんなつもりじゃ…… 放せ、小笠原。こらっ、放しなさい!」 命令通り義光がすんなり解放すれば、行き場をなくした両手を前に突き出したまま、教師は呆然とこちらを見上げている。 義光の胸板で擦れた髪は散々に乱れ、顔の中心から眼鏡がずり落ちた様が、付き合いのあるゲイ達では決してみることができない、恋の駆け引きに不慣れな奥手らしい反応で。 義光は堪らず吹き出してしまう。 「ブッ」 「なに? なにがどうなって……」 「くっくっくっ」 「おが、小笠原っ。また僕をからかったな!」 「あー、はっはっはっ」 「そんなに笑わなくたっていいだろ!」 七つ年下の生徒に向かって必死に喚きたてる教師が可愛らしく、また可笑しくもあり、ついに義光は身体を二つに折って笑い出した。 「あー、可笑しい。俺も謝らないから、これでおあいこってことで。傷つけたとか傷ついたとか、もう言いっこなしね。いいだろ、先生」 「え? ……ああ、うん」 「じゃあ俺、今日は本当に急いでるんだ。傘と本は、有り難くお借りしていきマス」 まだ本の整理してるなら、図書室に返しにいけばいい? 教師を煙に巻くことに成功した義光は機嫌よく訊ねながら、受け取った本を鞄にしまおうとして手を止めた。 「あれこれ、図書室の本じゃない」 図書室にあったのは確か表紙が肌色で、タイトル以外何も描かれていないシンプルなものだった。 それがこの本の表紙には、ベッドに横たわる人物と窓辺に立って外を眺めている人物、二人の女性が描かれている。 『最後の一葉』のジョンジーとスウだ。 「ああ、それは僕の持ち物だよ。図書室で借りると、慌てて返さなきゃならないだろ。ゆっくり読みたいかと思って」 「ふーん。先生って、つくづく人がいいんだね。抱き心地も良かったけど」 「なんだって?」 「いいえ、なんでも。校長に、先生はいい人だからあんまりこき使うなって、言っといてやるよ」 「結構です。君にかかると、抱き心地のことまで報告されそうで怖い」 「なんだ、聞こえてんじゃん」 |