最終下校時刻が近づいた薄暗い校舎の内側は人影もまばらで、誰かの傘に入れてもらうことも期待できない。 目的地は同じなんだから、待っててくれりゃいいのに。あいつは俺に対する配慮が全く足りないんだ。 と、心の中で高遠を罵ると少しだけ気が治まった義光は、遅刻してバイト代を削られるよりはましだと覚悟を決めた。 一度深呼吸をし、雨の中へ駆け出そうと身構える。 思い切って足を踏み出した時、 「小笠原!」 自分を引き止める声がした。 不意を食らった義光が何事かと振り返ると、銀縁眼鏡をかけた教師が下駄箱の前に立っている。 毎日同じ学校で一日を過ごしているとはいえ、一学年十クラスあるマンモス校では、授業の受け持ちがない教師と顔を合わす機会は滅多にない。 教師とは、先月図書室で会って以来だった。 「あれ、先生。どうしたの?」 当然のことながら呼び止められる理由が見当たらず、疑問を口にした義光に、教師は両手に持っている物を黙って差し出した。 右手には黒い折り畳み傘、左手には一冊の本。 「え、この傘俺に貸してくれんの? ラッキー。先生、ありがとう。んで、そっちは何?」 「O・ヘンリー集。君、この前借りないで帰ってしまっただろ」 「あ? ……ああ、そうだっけ」 あの日図書室に行ったのも気紛れなら、本を選んだのも気紛れだ。 自分が棚から抜き取った本がなんだったのかも、今の今まで忘れていたくらいなのに。 「次の日借りに来るだろうと待っていたけれど、君は来なかった。あれ以来図書室に来てないよね。もしかしたら、僕の不用意な言葉が君を傷つけてしまったのかな。その…… この間はすまなかった」 ゲイに興味があったのだと今更蒸し返されても嬉しい話ではないし、無礼な奴ならどこにでも大概ひとりはいるものだ。 しかしノンケの反応はみんなそんなもので、慣れているからわざわざ謝らなくていいと幾ら言ってみたところで、この目の前の教師の生真面目さを考えると下手に同情されかねない。 面倒臭さを感じた義光は予告なく、差し出している教師の両手首を掴んで自分の方へグイッと引っ張った。 「あっ」 突然のことに手が塞がったままの教師は抗うこともできず、あっさり義光の胸の中へ飛び込んでくる。 「俺がゲイだって知ってて何度も近づいてくるなんて、自分がどれだけ隙だらけか分かってる? それとも誘ってんの―― センセ?」 |