鬼は外 8

「ハ、ハル、止めろ」
 止めさせようと足を一歩出したところでパキッと音がして、オレはピーナッツを踏んだことに気を取られてしまい、次に反対の足が滑って咄嗟に踏ん張りが効かず、前のめりにバランスを崩してしまった。
「あ、タイシ!」
 慌てたハルが支えようと咄嗟にオレの胸の中に飛び込んできて、支えきれずに一緒に倒れ込む。
 このままだと頭を打ってしまうと、辛うじて自分の左手を彼の頭の下に潜り込ませたが、結局オレがハルに覆い被さる格好でキッチンの床に膝をついた。
「ハル、あ、頭、打たなかったか!?」
「タイシ、手、大丈夫!?」
 倒れてから二人同時に喋り出し、一旦口をつぐんだが、
「……びっくりした。ごめん、はしゃぎすぎた」
 彼がもう一拍、間を置いてから言った。
 本当に驚いたのだろう、無意識にオレの首に回された腕が小刻みに震えている。
 意図せず抱き合う体勢になってしまった緊張に、無言のままハルを見下ろすと、こちらを見上げた彼の顔が、みるみるうちに綺麗な桜色に色付いてきて目が離せず、オレは思わずゴクリと喉を鳴らした。

 晴さんにキスしたいと思ったこと、ある?

 頭の中を今井の言葉が駆け巡り、目はふっくらとしたハルの唇に釘付けになり、心臓がドキドキと脈打って、もうどうにかなりそうだ。
 動くこともできずにそのままの姿勢でいると、首に回されていた彼の腕がほどけて身体の温もりが遠ざかり、オレは名残惜しく感じると同時に早く退かなければと焦る。
 ところがハルはほどいた腕を前に持ってくると、今度は両手をオレの頬にそっとあてがった。
「タイシのほっぺ、まだ冷たい」
 赤い唇が、誘うように薄く開く。
 この人はオレが今何をしたいと思っているのか、分かっていてやっているのだろうか。
「ハル……」 
 困惑気味に名を呼ぶと、彼は分かってると言いたげに、自ら目を閉じた。
 ついさっきこの場所で、オレ達が男同士でも兄弟でもおかしくはないと、今井が言ってくれたばかりだ。
 その言葉に後押しされ、オレはゆっくりとハルに顔を近づけていった。


 オレの唇がハルの唇に触れるか触れないかのところまできた時、突然ガチャガチャと玄関ドアの鍵を開ける音が家中に響き渡り、驚いたオレ達はパッと身体を離した。
 オレは慌ててキッチンテーブルへ座り、ハルは隣のリビングへテレビを点けに走る。
 自分達を褒めてやりたいくらいの、早業だった。
「ただいまぁ」
 早鐘のように鳴る心臓の音が聞こえはしないかと、無駄にドキドキしているこちらの事情などお構いなく、のんびりと挨拶しながら入ってきた人物を見てオレは目を疑う。
「義父さん!?」
 そんなオレよりも先にハルが父親を呼び、
「やあ、豆まきかい? これは素敵な日に帰ってきたね」
 半年も家を空けておいて暢気なことを言う父、タイセイに、
「お帰りなさい!!」
 駆け寄ったかと思うと彼の首に両腕を巻きつけ、ぶら下がった。
 彼は何故だかこの義理の父親に良く懐き、中学生の頃からタイセイが家に帰ってくる度、いつもこうやって大歓迎をする。

 ハルは一体幾つまで、そうやってソイツに抱きつくつもりなんだ?

 オレは内心、面白くない。
 そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、
「ああ、晴くん。君はまあ、益々綺麗になって。こうなるともう、誰にも君を渡したくないねえ」
 タイセイはその長身で軽々とハルを抱え上げ、ぬけぬけとクサイことを言いながら彼に頬擦りをしようとする。

 それはオレの台詞だっ!

 言うに言えず、オレは心の中で地団駄を踏む。
 ハルもハルだ。
 頬擦りされてキャーと逃げる振りはするが、本当はちっとも嫌がってはいないのだから。
 なまじ父親が自分と背格好から顔までそっくりな分、余計に腹立たしい。




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