***** 「ん、ありがと」 何も言葉をかけず、今井の好みの少し薄めのホットココアを出してやりながら、オレの家のキッチンテーブルに向かい合って座る。 月に一度か二度、ハルの部屋に泊まりがけで遊びに来る今井は、一階にいる時はリビングよりもキッチンを好み、オレの正面の椅子が指定席になっていた。 オレは濃いめのココアを飲みながら、そういえば思い当たる節があるじゃないかと考えていた。 正月、義母ウイに挨拶をするために皆で家にやって来た時、義光さんはここに座って何やら言っていたではないか。 お陰で自分が子供の頃に受けた性的虐待の事実を、ハルに告白する羽目になったのだ。 自分がというよりは、彼が悲しむ顔を見たくなくて今まで黙っていたものを。 今井がオガ先輩と呼ぶ小笠原義光という人は、甘いマスクと長身の持ち主で、レストランのバーカウンターの中に立ち黙ってグラスを磨いている時は落ち着いた大人の雰囲気を漂わせ、それがとてもサマになってはいる。 が、実のところ意外と短気で人の話を最後まで聞かず、夢中になると周りが見えなくなり、ひとり先走る癖があった。 彼はアルバイト先の芸能プロダクション事務所の中で、オレが唯一普通に話ができる人だ。 男性経験の話も色々と聞いている。 女の子には興味が無いとも言っていた。 義光さんの話は主に自慢話なのだが、今後の役に立つかも知れないと思い、聞くオレもオレだ。 男とのセックス話を顔色も変えず、そればかりかフンフンと頷きながら聞くオレのことを、童貞でないと思うのも無理はない。 そしてオレの知る限り、義光さんが本気になった相手は今までいなかった。 あれだけ恋人を、しかも男を取っ替え引っ替えしておいて、修羅場になったと聞いたこともない。 一度くらいその現場に居合わせてもいい筈だ。 それぐらいには、オレ達はいつも近くにいる。 義光さんに泣かされた男を見たのは今井、お前が初めてだ。 と、ここまで考えてハタと気がついた。 オレにはまだ知っていることがある。 それは義光さんが、一年程前からピタリと男遊びを止めていることだった。 そうか、そういうことか。 普段、恋愛事にはクールな態度を崩そうとしない義光さんが、今井に限って暴走しているということは。 よもや義光さんが自分に嫉妬して、今井を泣かせてしまったなどとは思いもよらないオレは、何て面倒臭い男に惚れられたものかと彼に同情する。 今井は知らないだろうが、その道では名うてのプレイボーイで知られる義光さんを本気にさせるなど、只事ではない。 経験値ゼロの今井では逃げ切れないだろう。 それに確かに、本気にさせる何かが今井にはある。 オレが小学生の子供だった頃から今に至るまで、彼から離れられなかった理由と同じ何かが。 こうなってしまったからには、オレが彼にしてやれることなどひとつしか残っていない。 「今井、手伝え」 しょんぼりと座り込んでいる彼に声をかけ、オレは勢いよく椅子から立ち上がった。 エプロンをつけ手を洗い、二人並んでキッチンに立つ。 「何、作るの?」 と訊ねる今井に、 「今日は節分だろ? 巻き寿司だ」 作り方は、インターネットでリサーチ済みだった。 帰宅時間に合わせて白米が炊き上がるようセットしておいたので、今井に手伝わせて寿司飯にする。 次にマキスに海苔を置き寿司飯を乗せて、上に具材を並べる。 具材は既に下ごしらえが済んでいる。 出来上がりを頭に思い描きながら並べていると、隣の今井がオレの手元を興味津々で覗き込んできた。 その目がキラキラ輝いていて、知らずオレの口元も緩んでしまう。 やっぱりこういう所はハルに似ているな。 それなら、機嫌の取り方も心得ている。 最後に、並べた具材の上にもう一度寿司飯を被せ、形を整えながらマキスで巻けば出来上がりだ。 「切ってみろ」 オレは包丁を今井に渡し、真ん中を切るように促す。 「え、いいの?」 言葉は遠慮がちだがやる気満々でいる彼を見て、また笑いが溢れる。 「わ、これ…… すごい!」 彼は自分が切った切り口を見て大きく目を瞠り、次にオレに向かって笑顔になった。 よし、完璧だ。 オレは心の中でガッツポーズを作る。 出来上がったのは、鬼の顔の巻き寿司だった。可愛らしい、漫画チックな顔をした鬼。 よし、完璧だ。 巻き寿司も、今井の笑顔も。 |