大事な人が、オレを庇って階段から落ちた。 それだけでも立ち直れないほどのショックなのに、額の生え際を五針も縫う大怪我まで負わせてしまい、オレはこの人が眠る病院のベッドの枕元にもう何時間も座り込んでいる。 自分の余りの不甲斐無さに、呆然として。 大きな目、小さい鼻、口角の上がった肉付きのいい唇。 それらが左右対称に並んだ、綺麗な顔。 しかし折角の綺麗な顔も、今はガーゼに包まれて半分近くが隠されていた。 ガーゼが取れないよう頭からすっぽりとネットまで被せてあるので、茶色がかった癖のある柔らかな髪も、ペッタリと潰れて顔にくっついてしまっている。 本当に痛々しい。 本人は痛み止めの注射が効いていて、眠っているのだが。 どうしてあの時この人の身体を咄嗟に掴まえられなかったんだとか、そもそもオレなんかを庇う必要は無かったのにとか、それを言うなら最初から外出なんかしないで、家にいれば良かったんだとか。 グルグルグルグル、役に立たない後悔ばかりが廻り出して、オレは自分の頭を抱えた。 「ハル、ハル……」 すまない、ちゃんと守ってやれなくて。 顔に傷なんかつけて。 すまない、いつまでも大人になれなくて。 大きな顔をして守ってやっているつもりが、オレはいまだにこの人に守られていたのだという事実を思い知り、情けなくて涙が出そうだ。 「義兄さん……」 何年か振りに、そう呼んでみる。 すると久し振りの呼ばれ方に反応したのか、彼の目がうっすらと開いた。 その顔を見て、ガーゼで半分隠されていても綺麗だと思うオレは、相当イカレているだろう。 愛しい。 触れたい。 抱きしめて、誰の目からも遠ざけて、自分だけのものにしたい。 この人を義兄さんと呼んでいた幼い頃から、オレはずっと…… 思考のループに嵌まり込んで黙っていると、彼が小さな声でオレを呼んだ。 「タイシ……?」 初めて出会った時、ハルは中学三年だった。オレは小学五年生。 当時と少しも変わらないオレを呼ぶ甘い響きのある声にハッと我に返り、ひとつ瞬きをする。 あれから随分長い時間が経ち、子供だったオレは、世間で成人と呼ばれるようになる最初の年を既に数年越えていた。 十代の時とは違う。今なら言っても、誰の迷惑にもならない筈だ。 「ハル、好きだ」 余りにも長い間心の奥底に閉じ込めていたその言葉が自分の耳に届いた時、オレの顔はカーッと熱をもった。 彼はオレの告白を聞いて一瞬真顔になったものの、すぐにくすぐったそうにフフッと笑う。 まるで春が来て、花の蕾が一斉に綻ぶかのような華やかな笑顔。 何も言えずに見惚れていると、 「ん、俺も好き」 躊躇う様子も無く返されて、驚きの余り目を瞠る。 ああもう、この人は。 反則だ。 一度でいいから言われてみたいとずっと夢みてきた言葉だったが、今聞かされても、怪我人相手では抱きしめることも、ましてやキスすることさえままならない。 嬉しい笑いと苦い笑いがいっぺんに来て、フッと口元が緩んでしまう。 そんなオレの顔をハルはボーッと眺めていたのだが、薬がまだ効いているのだろう、やがて再び眠ってしまった。 オレは慌てて立ち上がる。 彼の瞼が閉じられたと同時に零れた、数滴の涙を拭うために。 明日この人が笑顔になったら、思い切って抱きしめてみよう。そして耳元に、慣れない愛の言葉を囁こう。 オレを庇って怪我をした、綺麗で年上で、やっと気持ちの通じた大事な人に喜んで貰えるように。 ***** 「今日のお前、ヘン」 翌朝。 決死の覚悟で抱きしめようとしたオレに思い切り嫌な顔をしてみせながら、その綺麗な人は言った。 俺が勝手に庇ってケガしたんだから、お前がそんなに気を遣う必要は無いと。 え、何が? 昨夜の一世一代の、オレがした恥ずかしくも甘い告白は? 何か変だと慌てて探りを入れてみると、どうやら彼にとってあれは、夢の中での出来事らしい。 この人が先天的に鈍いことなど、分かってはいたんだが。 はぁ、最初からやり直しか。 次の機会はいつ巡ってくるのだろう? 今度はこの人が、きちんと起きている昼間にしなくては。 様々な思いがグルグルと廻り出し、オレはまた頭を抱える羽目になった。 2009.11.29 改訂2010.09.03 再改訂2011.03.22 再々改訂2012.11.13 *サイト移転による小説ページの様式の変更に伴い、大幅に加筆、修正致しました |