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みずいろで、ちいさいてのひら。
つめたいもの。
それが、わたしの最後の記憶。
まだ意識がはっきりとしないまどろみの最中、薄くて白い生地のカーテンから差し込む光に、瞼が自然と開く。
「おはよう、大ちゃん」
目の前のみずいろの少女は、ごく普通に、ごくあたりまえに、わたしにそんな台詞を吐いた。
まるで毎日繰り返されているような言葉だった。今日のごはんはなにがいい?とか、そんな感じの。でも、そんなはずはないのに。あるわけがない。だって、わたしにとっては最初の朝で、はじめての会話だったから。
「あたいはチルノ」
「……チルノ?」
「そう、名前。それで、大ちゃんは、大妖精」
ある程度の言語だけは最初から備わっていたから、名前、とか、言葉の意味はわかった。知識と記憶はすこしちがう。わたしには知識があって、記憶だけがぽっかりと抜けてしまっているのだ。いくら思い出そうとしても、はじめから備わっていないものから記憶は掘り起こせない。生まれ変わるといっても、身体と性格だけが受け継がれる、かわいそうなシステムだ。
とりあえずわかったことは、みずいろの少女の名前がチルノで、わたしは大妖精ということ。それだけでわたしたち妖精は十分だ。名前と外見さえわかれば、あまり物事を深く考えないわたしたちは、たのしく生きていける。それくらいしょっちゅう死んでしまうような生きものだから。でも、ひとつだけひっかかったことがある。
「…あの、」
「チルノでいいよ」
「あ、うん…、チルノ、ちゃん。えっと、…大妖精、って…」
「…うん。種族の、名前だけど」
チルノちゃんの答えはどうにも歯切れが悪かった。なんとなくだけど、聞いてはいけないような気がした。わたしにちゃんとした記憶があればわかったことなんだろうか。でも、わかったところで、きっとどっちもかなしくなることなんだと思う。じゃないと、チルノちゃんはあんな、かなしい顔をしないだろうから。
「……大ちゃん!!」
「えっ、は、はい」
「大ちゃんは、大ちゃんだから」
「……、」
「あたいが大ちゃんって呼ぶのは、大ちゃんひとりだけだから」
そう言うと、チルノちゃんは笑ってみせた。すこし無理して笑っているせいか、ぎこちなさを感じさせずにはいられなかったけど。ほんとうに優しい子なんだと思った。優しすぎて、傷を負ってしまうぐらい、不器用で、とってもとってもいい子なんだって。
「だから、大ちゃんは大ちゃん」「…、うん」
「それで、あたいはチルノ」
「チルノ、ちゃん」
「ちゃんと覚えた?」
「うん」
ここまで確認してもチルノちゃんからは、忘れないでね、の一言は発せられなかった。もちろんこれは言わなかったんじゃなくて、言えなかったのだ。すぐに死んでしまう脆いわたしたちは、記憶に関して絶対の約束ができないから。
カーテンがゆらめいて、日差しが差し込む。つよすぎる日光が眼にしみる。風がすこし、つめたい。
「大ちゃん、朝ごはんたべない?」
「あるの?」
「あるよ、簡単なものしかないけど」
チルノちゃんはベッドから離れると、部屋から出ていった。閉じるドアの音、部屋の木のにおい、ベッドのやわらかさ。すべてが始めてのだったけれど、どこか懐かさ身体をつつむ。そして、このときようやく、チルノちゃんが前のわたしと親友だったということを実感した。だって、そうじゃなきゃ、この部屋に戻ってきたというだけで、こんなにも胸がしめつけられないから。
「おまたせ!」
「ありがとう…、えっと…、こんなに?」
「あ、うん…、…作りすぎちゃって」
妖精が生き返るのは、ほとんどバラバラのタイミングだというのに。まるで今日目覚めることを予知していたかのように、わたしの目の前には、きちんと一食分が置いてある。
気づけば泣きそうになった。
だって、チルノちゃんがどんな想いで毎日過ごしてたんだろうかとか、考えてしまったから。チルノちゃんひとりにしては多すぎる量の料理を毎日つくって、それをどうしてたんだろうかとか。
どうしてこの子はこんなに優しいんだろう、とか。考えるだけでも胸がいっぱいになる。
「たべれる…?」
「食べるよ!」
即答すれば、不安そうなチルノちゃんの表情は、やさしく綻ぶ。それを見て、わたしも心があたたかくなる。それから、やっぱり泣きそうになる。
きっと、きっとだけど。前のわたしたちは、ほんとうに大切にしあっていたんだろう。お互いがお互いをなくしてはいけないほどに。どっちかが欠けてしまうことのないように、いちばんに相手のことを想い合うような。記憶にないけど、そんな気がした。そうだったらいいなっていう感情の方が、すこし強いけど。
「…いただき、ます」
涙声を押し殺して、言う。それから使い古された緑色のスプーンで、卵をぷすりと刺した。とろける黄身を口にはこぶ。チルノちゃんは黙ったまま。それをゆっくり噛みほぐして、
「…おいしい?」
「…っうん……、…おいしい…、おいし、いよ…っ」
結局、やっぱりこらえきれなくて。ほとんど涙声だったけど、慣れているのかチルノちゃんは、困ったような表情でそばにいてくれた。
スクランブルエッグと、焼いていない、ふわふわのトースト。やわらかくて、あまくて、口のなかでとろけて。
どっちもわたしのすきなもの。きっと、前のわたしもすきだったもの。
「…大ちゃんの、なきむし…」
「ないてなんか、っ、ないよー、っ…だ…」
「それじゃあうそつきだよ…」
「…っ、ん、…ごめん…」
「…うそつき、」
それからチルノちゃんに、どこにもいかないって約束したじゃん、って言われて抱きしめられた。その約束はわたしだけど、わたしがした約束じゃないのになあ。とか、考えても仕方ないから、黙ってチルノちゃんの背中に腕を回す。羽に触れるとやっぱり氷みたいにつめたい。
「…なきむしは、いつもチルノちゃんのほうだよ…」
気づけばそんなことを口走っていた。自分でもどうしてこんなことを言ってしまったのかわからなかった。これは前のわたしからのメッセージなのかわからないけど、チルノちゃんは相変わらず泣いてるだけだったからよしとした。
妖精はよく頭が弱いとか、呑気だとか言われるけど、ほんとうにそうなればいいのにって思った。笑うことしかできないくらい。親友がいなくなってもずっと笑っていられるくらいに。
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