命ーミコトー
5
「あの、何かすみません」
ガタガタと無言で藤家はイスを引きずってくると乱暴に腰掛けた。
「いいから、早く終わらせろ。無駄なことは喋るな」
声がトゲトゲしている。ああ、蓮見、本当に余計なことをしてくれたものだ。
美人の無表情って威圧感が半端ない。かえって顔をしかめられている方がいい。
そうだよね、私女だものね。ごめんなさい。
無駄なことは喋るなといわれたので心の中で謝っておく。
しかし、こんな緊張状態では頭が全く働かない。ただただ気が焦るばかりである。
「ねえ」
「はいぃ!?」
突然話しかけられ必要以上に大きな声で、更に裏返って声で答えた命を藤家は呆れた様な目で見た。
「これ、何て読むの?」
「え?」
「名前だよ。いのち?」
長い指で指された箇所には『榊 命』と氏名が書いてあった。
「ああ、私の名前命って書いて『みこと』って読むの。変でしょ?」
「ふーん」
藤家は先ほどまでの機嫌の悪さはどこへやら、興味津々といった様子で名前を見つめた。
「おもしろいね」
「おもしろい?」
「いいんじゃない、個性があって」
「個性、ねえ」
そういう言い方もあるのか。命は感心して自分の名前を眺めた。これまで散々変だ、変だとからかわれてきた名である。
教卓のイスに腰掛け黒板にヘタクソなドラえもんを書いているあの蓮見でさえ、いかつい名前だと笑い飛ばしてくれた。思い出すと腹立ってきた…。
「そういう藤家君だって、おもしろいじゃない。」
「俺の名前が?どこが?」
「月音って、ちょっと変えれば『つくね』でしょう。」
しばらく沈黙が流れた。
ちょっとからかってやろうと思ってみただけだったのだが、気にさわっただろうか。
にしても、からかうにも私もっとセンスいいこと言えよ。
命が恐る恐る様子を窺うと藤家は俯いたまま、その肩は小刻みに揺れていた。
怒っているのだろうか。少しは雰囲気がよくなったと思ったのに、やってしまったのか、私。
「あの…?」
「………」
「………」
やだ、この人静かに笑ってるんだけど。そんなに肩震わすほど苦しく笑わずにいるんならいっそのこと大声出せば良いのに。顔を両手で隠して。いや、不気味だから。
「藤家君、その笑い方不気味なんだけど。」
「…笑ってない…」
嘘付け!声が震えてるぞ!
「じゃあ顔見せてよ」
命は藤家の手を無理矢理剥ぎ取り顔を向かせた。その目とあった瞬間、藤家は噴出した。今度は大声で。
「やめてよ、私の顔見た瞬間噴出すとか!沸点分かんないし!」
その笑い声は止まらない。教室中の人が何事かとこちらを見やり、驚きで止まる。
それはそうだろう。無口、無表情、無愛想な藤家がこんな大声で笑っているのだから。しかも、止まらない。藤家の笑いが止まらなければ私にも当たるこの視線たちからも逃れられない。
「もうやだー」
しばらくして、藤家の笑いはようやく治まった。もう私もげっそりである。
「藤家君、大丈夫?」
「……忘れてくれ」
「藤家君、ゲラだったんだね」
「忘れろといってるだろう!自分でも驚いているんだ。恥だ。人生の恥だ…、世の中に顔向けできない」
「あんたどんだけ大層な事しでかしたのよ。ちょっとツボに嵌っちゃっただけでしょう」
「もう言うな。ちゃんと勉強も教えてやるから」
藤家は睨みながら命にシャーペンを手渡してきた。しかしいくら睨んだとしても先ほどより怖くはない。照れたように頬が少し赤く染まっているのだ。
「ありがとう、藤家君」
「…別に。それに藤家でいい」
「え?」
「あんたに君付けされるとイラッとする」
その素直じゃなさが少しおかしい。
「うん!よろしく、藤家」
実は意外と可愛くて、いい奴なのかもしれない。
命は藤家に対する見解を少し改めた。
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