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magi「うたかたの夢」
交換条件
交易で成り立つ国であるシンドリアには、その特産品との貿易によって他国から輸入した様々な品が溢れている。大陸産の茶葉のような嗜好品も、ある程度のお金を積めば手に入った。
この世界も向こうと同じように水をそのまま飲める地域ばかりではなく、硬水と軟水の問題も相まって、飲むことのできる水は軒並み高価だった。果実酒の方が安価な場合も多い。そういった地域でアルコールを含まない飲み物と言えば牛や山羊の乳、果実を搾ったジュースだった。栄養価が高く、砂漠ではその方が重宝されるということもあるだろう。
そんなわけで、西世界ではあまり茶葉の流通がなく、バルバッドでは専ら酒ばかりを振る舞われたこともあり、甘く味の濃い飲み物は嫌いでなくとも飽きてはいた。
そうして探せばやはり在るもので、記憶にあるのと違いが分からないくらい似たものから全く初めて聞くようなものまで、煌帝国産だといそれらは多数の種類を有するそうだ。初めて目にしたときはかなり嬉しかった覚えがある。
因みに、シンドリアに着いて早々のこと、ジャーファルさんに城下の市に専売店があると聞き、そのまま走って城を後にした私が帰ると微笑ましいと言わんばかりの視線が向けられたのは記憶に新しい。
(あれ以来、視察の度に何だかんだ理由付けて差し入れてくれるんだよなあ……)
もう一月、まだ一月。旅行としては滞在するには長く、バルバッドでのものよりは短い。この国に滞在している期間は、そんなどちらとも言い難い微妙な長さだった。そしてどちらにせよ、あのぴんと張った空気は忘れられそうもない。仲良くとまでは行かずとも、それなりに友好的な関係は築けていると思うのだけれど。
つらつらとそんなことを考えながら、手にした盆を抱えなおす。入っているのは心ばかりの礼のようなものだ。仕事をしていると文字通り寝食を忘れる彼に、強制的に休息を取らせるという、お節介の発露。邪険にされたことがないのをいいことに2、3日に1度くらいの頻度で続けている、新しい習慣。
――コン、コン
二度のノックのあと、大抵ならすぐに聞こえてくる柔らかい声がない。出直すべきかときびすを返した扉の奥からうめき声のような音が響いてきた。慌てて引き返し戸を引けば、1枚の書類らしき紙を手に震えるこの国の政務官の姿があった。特徴的なクーフィーヤという被り物が、紛うことなく訪問の目的である彼だということを示していた。
「どうかしたんですか、ジャーファルさん」
普段なら入る前から気付く程人の気配に敏いというのに、今は横に立って声を出すまで何の反応もなかった。また八人将の誰かがふざけでもしたのだろうか。そう思ったのも束の間、喉元に刃が突き付けられる。相変わらず速い。かと思えば彼はまたすぐに音がしそうなほど睨み付けていた瞳を丸くして、その白い顔からは更に血の気を失せさせていた。
この光景を見るのも数度目になる。最初は驚きはしたものの、回数を重ねれば耐性も着いた。寸分の狂いなく刺さる直前で止められるそれが、流石としか言い様がなかったということもある。
「す、すいません!度々このような真似を…!!」
「いえ、大丈夫です。それより、こんなことになる前に休んでください」
人間3日以上起き続けていると幻覚を見出すなんていう話もある。人手はいくらあっても足りないとは言え、柱となる彼が倒れては何の意味もない。自分は大丈夫だというのは只の驕りだと、きっとわかってはいるのだろうけれど。
「とりあえずお茶にしませんか?」
このお節介のきっかけは、シンドリアに着いて1週間程したころのことだ。昼間に疲労を貼り付けた顔で、今日で5徹だとふざけたようなことを宣った彼が夜に机で潰れていたのを見かけたことだったか。聞けば徹夜などよくあることだという。あまりにも当然のように周りが慣れてしまうのは問題だと、関係のないことなのにムッとした。
無理にでも休ませなくては。
そう思っていたのは何も私だけの筈がなく、行動を起こすようになって暫くして、噂で聞いたというピスティさんとヤムライハさんを筆頭に八人将の方たちも協力すると言ってくれた。そうして厨房にいつ行っても軽食が用意されるようになって、今や私がすることと言えばそれを執務室まで運んでジャーファルさんが食べるまで見張るだけのことだ。ピスティさん曰くそれが一番難しいらしいが、潰れていた時のことを盾に半ば脅しのような形で始めたのでそんなことはなかったように思う。
「昨日から何も口にしていないと聞いたので。忙しいのは分かりますが一旦休憩です」
畳み掛けるように言いながら背を押し、椅子に座らせる。仕事が、などと言い出す前に用意を済ませてしまえばなし崩しに成立する。高々その程度の時間でと思うかもしれないが、切り替えるにはそれで十分だ。
昼食のための休憩時間中の執務室はとにかく静かだった。広げられたままの書類の端が時折風に煽られて音をたてる他は、窓の外から市街地の喧騒が遠く聞こえるのみだ。お茶を注ぎ終えたカップをソーサーに乗せると、しんとした室内に陶器のぶつかりあうカチャリという音が響いた。
「いつも思っていたのですが、砂糖は入れないんですね」
そう言うジャーファルさんは角砂糖を数個放り込んで、溶かすためにぐるぐるとスプーンを回していた。
「入れることもありますけど、確かに入れないことのほうが多いですね」
紅茶やコーヒーで有れば寧ろ甘い方が好みだが、緑茶や烏龍茶のようなものに砂糖を入れるのにはどうしても抵抗があった。けれどこちらでは飲み物を出されるとき、どんな茶葉でも必ずと言って良い程甘いのだ。わざわざ自分でお茶を淹れるのはそのためだった。暑いから消費するのだろうと思いはすれど、気分や慣れは大きい。
おまけに、今日用意されていたのはサンドイッチと甘めの焼き菓子だ。甘いものを重ね過ぎて胸焼けを起こすのもつまらない。
カップに口を付ければ、ふわりと良い香りが広がった。
「お気に召して頂けたようで良かった」
「はい、美味しいです」
思わず頬が緩むそれは、数日前に貰ったばかりのものだった。彼の勧めるものでは、未だ外れた試しがない。職業柄、売れ筋や評判を耳にすることも多いのだろうか。
毒にも薬にもならない話をしながら、ふと彼は愚痴を溢すことがなかったな、と思った。

「そういえば、さっきは何を見ていたのか、聞いても良いですか?」
食べ物が粗方片付いたところでそう切り出す。空になったカップにお茶を注ぐ私の目の前で、彼はまた青ざめた表情に戻っていた。ぼんやりとその様子を眺めつつ、同じように空になった彼のカップを取り上げて残りを注ぎきる。とりあえず砂糖は二つで良いのだろうか。
聞いてはいけない話だったのかと目を向けた私に、彼はいきなり、ぱっと顔を明るくした。
「さつきさん、あなた、煌帝国に行く気はありませんか?!」
ガシィッと掴まれた肩が痛い。思わずといった素振りで乗り出している彼の椅子は倒れてしまっていた。
「とりあえず、説明をお願いします」
冷たくも暑くもない、平坦な声が間に落ちる。ジャーファルさんはまたはっとなって、慌てて座り直していた。こういうところを見るたび、私は彼に何処か幼さを感じる。彼はきっと、思われているよりずっとそそっかしい。
「すいません、つい……ええっと、それで、至急あなたに頼みたいことがあるのですが……」
「後追いの使者が入り用なんですか?」
ええ、と言い淀む様子と煌に行く気はないかという問いに、思い出すのは先日旅立ったシンドバッドさんのことだった。至急というからには十中八九、何かあったのだろう。しかも私に頼みたいなどというからには、相当差し迫った案件のようだ。それも非公式か外に漏れると不味い類いの。
「安請け合いは出来ませんが、食客として迎えられた身です。他言はしません」
信用に足るほど長い付き合いではない。勢いで口を滑らせたというなら聞かなかったことにすると、言外に主張する。
話せるなら教えてください、と促せば盛大な怒気と共にすぐ説明してくれた。なんというか、それは呆れる他ない話だった。

(書状を忘れたって何だよ)
いや、考えるまでもない。酒だ。火を見るより明らかなことに。
なんだかんだ言いながらも仕事でヘマをすることはないと思っていたが、それも裏切られたようだ。そういえば、金属器を盗られたこともあったと、また新しく納得のできる過去を思い出す。急げばまだ何とかなる範囲なのが何とも言えず、それにせよ大至急であることに変わりはなかった。目の前で地を這うような溜め息を着いている彼に思わず同情してしまったのだろうか。気付けば口が動いていた。
「通行証と船の手配はお願いしますね」
当初の目的からすれば何の問題はない。グラーシャはきっと好きにすれば良いと言って笑うだろう。
心がかりだった二人の少年も最近やっと、細々とだが食事も取り会話もするようになっていた。あとはモルジアナさん達が上手くやってくれる筈だ。
正式な家臣でもない私に、滞在先として城の一室を提供しようと言った彼の王を思い出す。恩を売るという言葉は悪いが、私の本筋からまるきりズレた話というわけでもなく、やっておいて損はない。
世界を見て回るという約束。そのまた新しい一歩の後押しとして。
国の使者という正式な立場に着けば、移動手段の手配や路銀の心配も減るか、なんて浅ましい考えが頭を覗かせる。我ながら、随分と図太くなったものだ。
くっきりと隈の残る目元を柔らかく細めるのを見ると、罪悪感めいたものが僅かに過る。彼もきっと腹に一物どころでなく抱えているのだろうが、感情はそこまで理に沿って制御されてはいなかった。
「性急にはなりますが、出立の希望はありますか?」
「そちらの準備が整い次第、私の方は何時でも」
立場や状況の許す期間はあまりなく、早ければ早い程良い筈だ。それでも、許された範囲で最大限気遣ってくれるというのなら、こちらが返せるのは誠意だけだった。バルバッドの民を知らぬわけでもない。
「では、申し訳ないのですが、明朝お迎えにあがります」
「わかりました。他に何かお手伝い出来ることはありませんか?」
「そんな、とんでもない!只でさえいきなりな話を持ち掛けさせて貰っているのです。そのうえ更にこれ以上迷惑を掛けるなど……!」
「それでは、ひとつ頼み事をしても構いませんか?」
ひたすらに恐縮するジャーファルさんに、ふと思い付いて悪戯っぽく笑みを浮かべて見せる。
「……?ええ、私に出来ることで有れば最善を尽くします」
「それなら良かった。ジャーファルさんにしか頼めないことですから」
応えながら片付けを終えていた盆を手にして席を立つ。
「今日はちゃんと寝てください。ああ、もし寝ないと言うなら無理矢理にでも寝所に放り込みますので」
困惑する彼に、言い逃げのようにそう告げて、戸に手を伸ばす。
退出してからたっぷり一拍分の静寂の後、待ちなさいと大声で名前を呼ばれる声を遠くへやろうと、私はひとり廊下を部屋に向けて駆けた。


(頼み事には頼み事で、出来るならどちらにも利があるように)


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あきゅろす。
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