magi「うたかたの夢」 不審者との遭遇 人の灯りがないところの夜というものは本当に暗い。 そんな当たり前のことをここへ来て初めて知った。 (この世界に来て、良かったかもしれない。) 視界を遮るもののない砂漠の夜空に溢れる星を眺めて、初めて心の底からそう感じた。 もとの世界に残してきたものについて未練がないわけでも、夢でないという可能性を棄てたわけでもない。 グラーシャと出会って、成り行きのままここまで来た。もう十日近くは過ぎている。それでやっと、少し息を付く余裕が出来たらしい。どうやら自分で考えていた以上に気を張っていたようだ。 我ながらとろくさい、と人知れず溜め息が落ちた。 隊商に参加した期間は5日。 初日の宴会と歳の近かった女性2人のおかげか、すぐに打ち解けた彼らとの道中は見たことのないものばかりで、驚きの連続だった。 「よし、ここからはバルバットへ歩いて行けるぞ。」 「ありがとうございました。」 頭を下げると見えた道は人が踏み固めただけのもの。 けれど、平らなだけで有難い、なんて自然に出てきた考えがおかしかった。確実に毒されている気がする。 (……いや、たくましくなったんだから良いことなんだろうけど。) 「じゃあね。」 「絶対、また会おうな!」 「うん!」 隣ではアラジンくんとモルジアナさんが手を振っていた。 振り返ることなく進む隊列はやがて小さくなり、周囲に沈黙が下りる。それを破ったのはアラジンくんの一声だった。 「じゃ、行こっか。」 はい、と返事をするモルジアナさんを見ながら、私はグラーシャを肩に乗せる。 「私たちも行こうか。」 「ええ。」 ぽつぽつと会話をする二人の後ろ姿を眺め、少し離れたところをぼんやりと歩く。 道は長く、先は見えない。 漠然とした不安は拭えず、けれど同時に、心の何処かに安堵があった。 (このまま、三人と一羽で何事もなく歩いて行ければ、) 意味のない仮定が頭を過る。見透かしたようなグラーシャの言葉が痛かった。 「これから、大きなことが起こる。けれど君は逃げられない。」 断定的で、威圧的。 「……貴方は未来でも見えるの?」 「さあ、どうかしら。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。全てはルフの導くままに、ってね。」 「教えられないことなら、それで良いよ。」 これまでも何度か、こういったはぐらかされ方をしてきている。きっと彼女には、何かしらの制限がかかっていると思って間違いなかった。 「……ありがとね、さつき。」 「ん。当たり前のことをしただけだよ。」 前を見たまま笑って流す。 「でもね、」 「なあに?」 「いつか、全部話すわ。」 そっか、と呟いてゆっくりと一度瞬きをする。会話はなかったけれど、肩の重みが心地よかった。 「そういえば、おねえさんたちはどうしてバルバットに?」 こてん、と首を傾げているアラジンくんの笑顔が眩しい。 「船で何処かに行こうと思ったの。それならバルバットが一番近くて大きかったから。」 今は船が出ているかも怪しいけれど。 そう思いはするが、口にはしない。もし、そうなっていたらどうするかなんて、まだ考えたくなかったから。 「ああ、僕もはやくアリババくんに会いたくなってきちゃった……」 モルジアナさんも後ろでこくこくと頷いている。 「……会えますよ、この道を辿れば。」 「そうだね!」 そうして道を進んだ先で。 「やあ、今日はいい天気だね。」 私たちが出会ったのは、葉1枚だけ身に付けた、成人男性だった。 (ふ、不審者……?この世界って、こんなのが出るの?) もしかして、本当に異世界で間違いないのかもしれない。私の頭がこんなものを考え出したなんて嫌すぎる。 「モルジアナさん、さつきおねえさん!二人は下がってて!」 現実逃避のような思考は、モンスターかもしれない!というアラジンくんの叫びにかき消された。 気休めになるのかも怪しいレベルだけれど、背中にかけていた薙刀を構える。木製とはいえ、防具なしなら牽制は出来る筈だ。 「ここは僕に任せて!」 「えっ!?いや、違うんだ!俺の話を聞いてくれ!」 何が違うと言うのか。 怪訝に思うものの、出来るなら話は聞こうとすべきだろう。 「それで、何が違うと?」 ちゃき、と音を鳴らして前へ付き出す。そんな私の横では、モルジアナさんが静かに構えを取っていた。 「話す!話すから!!物騒なのは良くないぞ?!」 ふざけたやり取りの後に、彼が物取りにあったことがわかった。 そのままでは不味いということでアラジンくんが服を貸したのだが…… 「服を貸してくれてありがとう、アラジンくん。」 「ごめんよ、僕の小さい服しかなくて。」 見事に、ぱっつんぱっつんだった。 「あの、先程は本当に失礼しました。突然武器を向けるなんて……」 がばっと勢いよく頭を下げる。そうして、おずおずと来ていた外套を差し出した。 「良かったら、これ着てください。私は下に着てますから。」 そのままの格好じゃ、やっぱり不審者ですし。 言いかけた言葉を慌ててぐっと飲み込むと、手にした重さが消える。受け取ってくれた、とほっとしたのも束の間。ぱさり、と肩に見慣れた布が落とされた。 そっと顔を上げると、目の前の彼はにこにこと人の言い笑みを浮かべている。 「いや、こちらこそ驚かせて悪かったな。それと、これは君が着ておいてくれ。砂漠の夜は冷えるからな。」 そう言って、彼は私の頭をぽんぽんと軽く撫でた。 「あ、ありがとうございます……」 至極落ち着かない。声が震えてはいないだろうか。 (どうでもいいから……その格好をなんとかしてください。) 行動は本当に紳士的なのだが、いかんせん絵面が悪かった。隣でつんとそっぽを向いているグラーシャは小刻みに震えている。 「俺の名は「シン」。バルバットへ向かうところだった商人なのだよ。」 「そっか…さっきは話も聞かずにごめんよ、おじさん…どうも僕は砂漠越えのせいで、危険なものにびんかんになっているようだよ…」 それから二人は楽しそうに話し込んでいた。 「冒険は、男の夢だよ。」 私は女だけれど、冒険譚は好きだった。文字や音が、私の知らない世界を教えてくれる。 (体験するとなると別だけど。) 心中でそう思っていると、それまで黙っていたモルジアナさんがおずおずと切り出した。 「…あの、バルバットへ急ぎませんか?今日中に着かないと…」 立ち上がって火の始末をする。他の人に比べて軽装な分、準備に時間はかからなかった。 ふと感じた視線に顔を上げると、シンさんが並んで歩くモルジアナさんと私をじいっと見ていた。 「…あの…何か?」 「ん?ああ!君達のようなかわいらしいお嬢さんとの出会いも旅の楽しみの一つだと思ってね!」 人のよさそうな笑顔でとってつけたように言われては、はぁ、と間の抜けた返事しか出来なかった。 やはり、どうにも胡散臭い。 物取りではなさそうだけど、と思い直しながらも、袈裟に掛けた紐をぎゅっと握り締めた。 丘を下った先に見えたのは、大きな街だった。 古代や中世の遺跡が綺麗な状態で残っている、と言えば伝わるだろうか。写真でしか見たことのない異国の風景が広がっていた。 道は広く整備され、水運もしっかりと管理されているようだ。人の数はこちらにきてから初めて見るくらいに多い。それだけ発展した国だということだろう。 「ここが…バルバッド…!」 バザールを抜けて宿泊施設へと向かう途中、シンさんが色々と解説してくれた。グラーシャはというと、何故かずっとだんまりを押し通していた。 「でも、ここなら安全だよ。俺もいつも泊まっている国一番の高級ホテル!」 着いたのは、ここまで見てきた中でも郡を抜いて立派な建物だった。確かにここならある程度は安全そうだ。 懐を思い出したが、その炉銀は些か以上に心許なく、何処か換金出来る店を探す必要がありそうだった。 思った通り、アラジンくんとモルジアナさんもそうらしい。 「すいません、私は少し市の方でお金を作ってきます。二人は少し待っててくれる?」 「なーに、心配いらないよ。」 三人くらいならどうとでも出来るだろう。そう思ってした提案は笑顔のシンさんに却下された。 「宿代は俺が出そう。助けてもらった礼だ。お金は先にここに来ている俺の部下が払うから、好きなだけここに泊まっていくと良いよ。」 いきなりの申し出に、思わずぽかんとしてしまう。案内された時に思ったよりも、彼は遥かにお金持ちらしい。大商人なのか、もしかすると他国の要人という線も考えられない話ではない、かもしれない。 「ありがとう〜おじさんお金持ちなんだね〜!」 わーい、と無邪気に笑うアラジンくんの真似は流石に出来ず、私とモルジアナさんは黙ってお辞儀をしていた。 そのまま意気揚々とエントランスを潜る彼に、ふと大事なことを思い出す。 (あの格好じゃあ確実に不審者扱いされるよね……) 案の定、警備員に止められていた。 「シン様!今まで何処へ行ってらっしゃったのですか?」 奥から出てきたのは、頭に特徴的な布を被った真面目そうな白い青年と、鎧を纏った赤い髪と目の青年だった。彼らがシンさんの言っていた部下の人達だろうか。 かいつまんで事のあらましを聞いた白い青年は、一瞬遠い目をしていたように見えた。 苦労してるんだろうな、と少しだけ心配になる。赤い青年の方は始終口を出さなかった。 「私共の主人がご迷惑をおかけしました。主人の命通り、お三方の宿代はどうぞ私共にお任せくださいね。」 「ありがとう!部下のおにいさんたち!」 「さあ、あなたはそのはしたない格好をなんとかしてください。」 アラジンくんの感謝を尻目に、白い青年はシンさんの背をグイグイと押していた。確かにそのままでは不味い。いつの間にか感覚が麻痺していたようだ。 「じゃあな!アラジンにモルジアナにさつき。明日、飯でも一緒に食おう!」 にこやかに笑う彼に背を向け、三人で部屋へと足を運んだ。 (部下の人達の名前、聞きそびれた……) そう気付いたのは布団に入ってからだった。 [次へ#] [戻る] |