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magi「うたかたの夢」
ひるなかに黒ひとつ
 シンドバッドさんたちの働きは実に迅速だった。夜明け近くまで暗い街のあちこちで書き連ねた文章を読み上げる声が聞こえる中、必死であくびを堪えている。高く上がった陽光はぎらついて目に刺さった。
「目がしぱしぱする……」
「寝不足ね。仕方のないことだけれど」
 日よけ代わりにフードを目深にかぶるようにしてからグラーシャは定位置を肩から頭に変えたらしい。頭上から降る声は笑いを含んでいる。
「それで会談のある王宮とは別方向に向かっているわけだけれど、良いのかしら」
 訪ねる体をとってはいるが、そのくせ語尾を上げるでもない。分かってるでしょ、と投げやりに返しながら、私は中心街からどんどんと足を遠ざけるように動かした。道々をすれ違う人たちの数が随分と減るころ、手ごろな場所を探そうと外套を頭から下ろす。モルジアナさんやアラジンくんが王宮前の広場に、シンドバッドさんたちはアリババくんを王宮に連れていくという中、わざわざ別行動をとっているのは、何か明確な理由があってということではなかった。なんとなく、気が向かなかったのだ。おねいさんは一緒に行かないのかい、と尋ねた深い青の瞳と何も言わぬ朱の一対から目を背けて、やりたいことがあるんだ、と嘘をついた。見届けると約束したのだから全てを忘れてしまうわけにもいかず、どっちつかずの私はこうして郊外から街を眺めようとしているのだ。
 人もまばらな整備の甘い道をそんな風に歩いていると、明るい声がかけられる。
「あれ、あなた、占いのおねえさん? こんな街外れに何か御用が?」
 見れば洗濯物だろうか、布の詰まった籠を抱えた年若い少女が驚いたようにこちらを注視していた。やわらかな印象を与える垂れた目もとの顔には見覚えがある。多分、辻占の紛いごとをしていたときの客の一人だ。
「ええ少し。散歩でもしてみようかと思って」
「そうなの? なんにもなくて驚いたでしょう。ここいらまで来ると家もまばらだから、お仕事には成らないと思うわよ」
「それは……そうかもしれません。でも、見晴らしは良い」
「うん! それだけは誇れるわ。今日みたいに雲も霧もない日なら、あっちの丘の上から王宮まで見えるもの」
 へえ、良いことを聞きました、頷きながら笑って見せれば少女は良かったらぜひ行ってみて、と腕の中の籠を持ち直す。
「じゃあ私、今日はこれ片付けなきゃいけないので。また街で会えたら嬉しいです」
「こちらこそ、お待ちしてます」
 ひらりと手を降って分かれる間際、それまで無言を貫いていた鳥があの子供の様な声で、あと数日は街に近付かないことをおすすめするわ、と歌うように言った。「え?」と思わず足を止めこちらを振り向いた少女に慌てて取り繕う。
「耳寄りな情報のお返しに。所詮占いですから当たるも当たらぬも、ですが」
 ぱちくりと目を瞬かせる少女が何か口にするより先に足早にその場を去る。偶然二基あった少女によって差された場所には誂えたように木が植わっていて、大きな葉が南国らしくきつい日差しを遮っていた。幹に背を預けて一息ついたところで、びゅお、と耳元を風が吹き抜けて髪が舞う。街の方に目をやれば、なるほど聞いたとおり、王宮までしっかりと見渡せた。小さくはあるが多数の人が蠢いているのがわかる。
 ぴちち、と啼く鳥の様な輝く存在は昨晩ジャーファルさんに聞いたルフというものらしい。きらきらと陽光に負けず劣らず主張しながら羽ばたく様はどれだけ見ても飽きることがない。あついなあ、と誰に向けてでもなく思いながら革袋の中で温くなった水で喉を潤す。
 なにを期待するでなく街中を眺めていると、ざわめくルフたちの中、染みのように一点、黒が落ちるのが目を引いた。遠すぎて個を認識するには至らないはずなのに、どうしてかそれが彼の発したものであると確信する。
 先日の街中で会った奇妙な三人組のうちの一人。長く艶やかな真黒の髪を三つ編みにして背に流していた少年だ。少女と従者らしき青年はどこか和風というか漢服というか、もとの世界で言えば東洋めいた服装だったのでよく覚えている。名乗られはしなかったが、共にいた少女が呼んでいたので名は知っていた。
「ねえ。あそこの黒いの、ジュダルくん……だよね、多分」
「ええ、そうね。黒いルフをああして使うのは彼くらいしか見たことないもの」
「こないだはおっかなかったよね、彼」

 客も引き、広げていたおひねりを投げいれて貰うための箱を片付けていたところに、突如突きつけられた指の恐ろしさは中々忘れられるものではなかった。
『お前の、そのルフはなんだァ? 気っ持ち悪ィ流れ方してやがるが量は多くねえ』
 心底不可解だと眉根を顰め不機嫌もあらわに睨めつける同い年よりやや下に見える少年は今にも首をしめんばかりの勢いだった。だが、そんな剣呑な雰囲気は後ろからばたばたと追いかけてきた二人の男女によってかき消された。
『女の子にそんな絡み方しちゃ駄目よぉ、ジュダルちゃん』
 うちの子がごめんなさいね、とぐいぐい腕を引っ張る少女は中々に身なりが良く、見目も整っていた。綺麗に結いあげられた髪は赤みがかった美しい色をして、象牙の肌は透き通って珠のようだった。
 うるせえ離せよババア! ババアってなによう! なんて言いあいを始めた二人にさてどうすべきかと考えを巡らしながらそのまま場を離れようとしたのだが、見逃してはもらえなかった。
 では私はこれで、と立ち去ろうとして後ろから長い腕が襟首を乱暴に捕まえた。ぐえ、と潰れた音が喉から出たことを覚えているのでかなり勢いがついていたに違いない。
『オイ、待てよ。話は終わってねェ』
『私としては話すこともないのですが……そもそもルフとは?』
『アァ? なンだよ、しらばっくれんのか? あるいは自覚なしかァ? なら魔術師ですらねェと』
 はあ、まあ、たぶん、とともすればため息とも取れるくらいには気のない返事を返せば少年はじぃ、とこちらを見ていぶかしげな顔をしながら盛んに首を傾げていた。吊られて彼の連れであるらしい少女と、それまでぜえぜえと息を切らしていた青年もこちらを覗きこんだ。あまりの居心地の悪さに肩の魔神へ目をやれば、なんということか、彼女は既に居なかったのだ。あまりに薄情な友人である。

 そこまで思い出して、じとりとした目で木の上を見やる。嘴で器用に羽繕いをしていたらしい彼女は「あのマギに目を付けられてしまったわねえ」ところころ笑っていた。逃げたから何かあるとは思っていたが、どうやらあの黒い少年も特別な存在らしい。
「ルフがおかしいって言われても良く分からなかったんだけど、あれ、結局どういうことなの?」
「ううん、説明しづらいわね。私と貴女の契約状態があの金髪の青年なんかと違うのもあるし、何より出自がねえ。流れなんて違って当然なのだけれど」
 要領を得ない言葉の羅列に、どうにも誤魔化されたような気持ちになる。けれどそれ以上を聞くことも憚られて、ふうん、と分かったような分からないような、どっちつかずの返事をした。
「まあその釦が金属器もどきだってばれなかったんだから、それで良しとしましょうよ」
「そんなものかな。マギと王の関係も良く分からないや」
「マギについては私もあまり詳しくないわ。本にあったのでほとんど全部。でもきっと私が彼に見つかったら面倒なことになるわよ」
 だから逃げたのだけれど――言って、鳥の形をした魔神はひらりとその大きな羽根を音もなく宙へ滑らせた。座り込んだ膝にかかる重みは肩や頭にあった時のそれと変わらない。
「さっき言ってた予言というか忠告、あれ、やっぱりここが荒れるってこと?」
「どう考えてもね。膨らみ切った風船、水で一杯の桶。今のバルバッドを例えるならそんなところでしょう。南の国の王が口添えするというのだから大事にならないはずもなし」
 そう、と頷く声はもうかすれたりしない。死にたくはない、だが既にそんな言葉は飲み込むと決めたのだ。そよそよと肌に当たる風が夕の気配を漂わせる頃、あんなにも鮮やかに主張していた黒い鳥は消え、王宮前の人混みは知れず散り散りになろうとしている。

 眼下に広がるバルバッドの街は、いつの間にか傾いた日に長く影を伸ばしていた。

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