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magi「うたかたの夢」
落陽を知りながら
 アリババくんとシンドバッドさんを中心に進む霧の団とバルバット国の話はあまりに遠く、あたふたと周りが働く中、私はただ全てを眺めていた。背筋にひやりと忍びよる空気とざわざわと粟立つ肌。いつの間にか飛んで行ってしまった鳥は今どこに居るのだろう。
 革命だ、と陣中で誰かが零した言葉はこれまでじかに触れたことのないもので、この予感が果たしてそのものを感じてなのか分からない。漠然とした不安と期待、上ずる誰かの声、蝋燭の灯りをうけて揺らめく人の影――そんなものがきっと私を落ちつかなくさせていた。
 慈善事業の様な救護活動を偽善と罵るほど悲観出来ず、ずるずると手伝っていたがこれが潮時かもしれない。明日からどうすべきかも見えないまま、動きすぎた事態を前に途方に暮れていた。今必要なのは眠りたいなんて逃避することでなく考えることなのに、全くもって出来る気がしない。
 動転した思考がぐるぐると他愛も益体もないところで行ったり来たりを繰り返しているのを理解しながら、そのくせ生産的な考えは一つたりとて浮かばなかった。
 いっそ明日から暫くは様子見も兼ねてここから離れてしまうのも手かもしれない、と街の外へ至る方の道に目をやっていると、「どうかしましたか」と言う声が後ろからして、ひゃあ、と小さいが間抜けな声が出た。振り返ればいささか目を丸くしたジャーファルさんがいて、すみません、そんなに驚くとは思わなくてと申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「こちらこそすみません。ちょっとぼうっとしてて」
 今日は色々ありましたね、と苦笑すれば彼は疲れたように肩を落とす。
「本当に、シンは読めません……」
 何を考えているのやら、とぼやくのが堂に入っているなんて言えば怒られてしまうだろうか。それでも仕事です、そう言いながら慣れたように王からの指示をこなそうとペンキの様な液体と刷毛を手に、ジャーファルさんは私が足場を押さえている梯子にするすると登っていく。
 明日の会談を知らせる告知文を書くのを手伝うべく、適当なところで梯子を構えていたのだが、来るのは誰か霧の団の知らない人だと勝手に思っていたから、正直なところかなりびっくりした。とはいえよくよく考えれば文字が書ける人間なんてきっとほんの一握りなのだろうし、当然の帰結である。
 さらさらと流れるように綴られるアラビア語のような文字列が共通言語と呼ばれるものであることを聞いたのはつい先日、今は既に無き迷宮でのことだった。バベルの塔が建つ前の世界なのよときゃらきゃら笑う少年とも少女ともつかぬジンの姿がまざまざと思い出せる。
「平民で字が読める者は珍しいと聞きましたが」
 でもきっと、いるんでしょう、と問えばそれなりの数はと声が返る。貴女もそうでしょう? 続く言葉が身を指すのは今日だけでもう数え切れない気がして、耐えきれずにへらりと笑って見せた。
「言葉一つで随分稼げますから」
 嘘ではない、けれどこれだけが唯一の答えでも決してない。不確かな出生が彼らに伝わるほど、己の足場は危うくなる。だのに、一向に止まる気配のないこの口を縫いつける糸が欲しかった。ゆるされたいと願う心を埋めるシャベルだって良い。
 保身と軽薄、たったそれだけ。
 あまりに浅い底に溜まるのは、いつだってそんなつまらないものである。
「そう言えば、さっきシンドバッドさんが言ってたマゴイとかルフとかってなんですか?」
 ぐらり、偏りつつある思考に蓋をして、強引に話を転換しながら梯子を片して次の壁へ向かう。器物損壊、ではなく何だったか。人の持ち物や公共の場に落書きをするのは以前では絶対しなかったろうことで、なにやら感慨めいたものすらあった。
 ああそれはですね、と丁寧にひとつずつ解説してくれる青年の一歩後ろ、目を閉じ一歩一歩、靴底のざらついた砂に覆われた道を思う。仮契約なんて言う宙ぶらりんの状態で浮いた彼女から既に一度聞いたことのある話だけれど、不思議な魔法の世界の話は二度目だって面白かった。年甲斐もなくわくわくする。視界の隅をちらつく鳥がピチピチとさんざめくのは知らぬふりをして。
 ひやりと冷えた夜の底、人気の絶えた道。遠く喧騒を聞き泳ぐ。ひらひらと尾鰭のように揺れる頭布を追い、吐いた息はあたたかだった。

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