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magi「うたかたの夢」
探し人
フードを目深に被って、グラーシャを左手で外套の中に抱く。不審者のように見える気もしたが、女だとバレる方が余程厄介だったからだ。
「いらっしゃい、一人なら適当に空いてる席に座ってくれ」
ぞんざいに通された店の奥、人のいないテーブルに座って品書きに視線を落とす。品数は少なく、ほぼ全てのメニューに「本日の」とあった。何が出てくるのかわからないまま、適当に一番上にあるものを注文した。
そうして忙しなくテーブルを回る店員が乱雑に置いていったのは、コップ1杯分だけ申し訳程度に頼んだ安酒と軽食が数品盛られた皿だ。付け合わせのパンは固く、味の薄いスープに浸さなければ口の中が切れてしまいそうだった。
旅の時に痛感したことだが、ここではとにかく食事が大変なのだ。今までが恵まれ過ぎていただけかもしれないと思う程に。幸い好き嫌いはなかったし、身体に合わないということもなかったけれど、栄養のことを考えると空恐ろしかった。
けれど、こちらではそれさえも贅沢な話だという。その日の食い扶持があれば重畳だよ、と笑って済ませた昼間の人達を思い出す。そしてそんなことを言う彼等でさえ中流階級と言って良い商人や職人らしい。
スラムはもっと酷いわよと、軽く言われた時にはあまりに世界が遠すぎて目眩がした。次いで、身近に迫っている問題を笑って流してしまう人達の無知への恐怖が湧いた。差し迫った未来を見据えられないというのは目先の欲で全てを決めてしまうということだ。それを助長しているのは多分、教育の滞りだろう。先を見通して判断をする、自らの行動の影響を考えるといった行為に対する耐性がない。
だから、義賊と呼ばれる行為をする人物が英雄視されるのだ。民衆にとっては今このときの利益が最重要で、それがもたらす最終的な結果からは目を反らしているから。
嘆いてどうにかなるものではないけれど、国に拡がるという貧困と教養の壁は根強いようだった。

一番奥のテーブル席に着いたまま、ゆっくりと店の中を一望する。酔うにはまだ早い時間なのか、比較的穏やかな客が多く、半数くらいは入れ替わり立ち替わりで埋められる席になっていた。しかし幾ばくかの席では、既に出来上がった人が騒いでいた。
ガヤガヤとした店内のあちらこちらで交わされる話にそっと耳を傾ければ、多くは他愛のないその日の話や誰か身近な人の噂だった。それらからは耳をそらしつつ、酔った客が政治や情勢について話し出すのを待つ。なんなら、霧の団についてでも話してはくれないだろうか。
ぼんやりと考え事をしていた間に冷めてしまった皿の中身は、スパイスが効いていて程好く辛い。何かに包んで火を通し、表面に焼き色を付けたらしい肉は値段に合わず油を含み、タレは臭みを消すように風味のきつめのものが選ばれていた。温かければ美味しかっただろうにと残念に思う。パンとスープで断念したのは早計だったようだ。少ない材料で、それでも食べる人のことを思いやって作られたのだろう。そう思うとこの国の情勢がいよいよ口惜しかった。
料理に口を付けるうちに喉が渇いて、木製のコップに注がれたまま放置している酒に手を付けるべきか、はたと手が止まる。一杯も頼まなくては怪しまれるだろうと頼んだは良いものの、私は未成年だ。あと1年半もすれば二十歳を迎えるのだし、そもそもここにはそういった法はないのだけれど、染み付いた道徳観というのはなかなかに手強かった。
「飲まない方が怪しいわ。大丈夫、さつきは強いから」
懐から不意に声がした。何故断言できるのか、それよりもまず周囲に聞こえていないのかと顔から血が引いていく。
「平然としていれば問題ないわ。他人のことを気にする余裕なんてないでしょうからね。……とりあえず飲んでしまったら?」
なんてことないように言われてしまえば従う他なくて、恐る恐る淵に口を付けた。舌先にじんと痺れるような感覚があり、アルコール独特の香りが鼻を抜ける。一口含んだところで思わずコップを戻してしまった。これだけでは飲めそうもなく、追加でまた違う皿を注文する。
強いだなんて冗談じゃないの。
意図せず滲んだ呆れの笑みは誰に知られることなく消えていった。

追加の品が運ばれてくるまで、手持ちぶさたに見えないよう、幾度かほんの少し口に含んでは顔をしかめるということを繰り返していた。舐める程度にしか触れることなく、また神経を他へと傾ける。
左前方と店の入口横に開けられた窓を見れば霧が薄く立ち込めていて、吹き込む風は冷たい。いつの間にか夜は更けていたらしく、店内はいよいよ雑然とした空気に包まれていた。愚痴めいた言葉があちらこちらに拾われることなく落ちている。
聞いたことのある話ばかりが堂々巡りして、新しいものは見当たらない。興味がないのか、情勢が回らないのか、今日への不平と明日への不安だけが溢されていた。盗賊団については、何故だか不思議な程話題に登らなかった。
「はいよ」
思考を遮るようにまたしてもぞんざいな扱いで置かれた中身は果物を切って果実酒で風味を付けたシロップに入れたものだった。フルーツポンチのような見た目だが、砂糖は控え目らしい。透き通った飴の欠片が蝋燭の日が揺れるのに合わせてきらきらと光る。他のものより少しばかり値が張ったが、まあ妥当なところだろう。
此方に来てからは久々に味わう甘味に、思わず頬が弛む。何処かで落ち着くことが出来たらお菓子でも作ってみようかな、なんて思ったりもして注意が散漫になっていたようだ。
外が騒がしい――そう気付いたときには店にいた大半の客が我先にと席を立って会計を済ませているところだった。窓の外の霧はいよいよ深く、遠くで何かが不安定な赤い色を発している。コップの中身を景気付けるように流し込むと思った通り喉が焼けたようにひりついた。
上げた視線はそのままに眺めていると、カウンターに座っていた見知らぬ男が立ちあがった。と思えば、グラスを持って私の前に座る。身に付けた服は裾が擦りきれ、色も褪せていてあまり身なりはよくない。何をするのかと訝しげに見つめていると、彼はグラスの中身を一気に煽り、カウンターへ向けて一声「追加」と声を上げて唐突にこちらへと向き直った。
「お前は帰らねえのか?」
「……何故?」
声を意識して低く短く吐き出す。どうにも男には聞こえない気がしたが、相手はそういう手合いではなかったらしくただ純粋に驚いたように目を見開いた。
「知らねえってことは旅行者か?こんな時期にくるなんて運がねえのか、物好きか、とにかく酔狂なヤツだな。騒ぎは聞こえてんだろ?」
「ああ、まだ耳は遠くない」
「はっ、そりゃそうだろうよ。……なんにせよ胆が座ってやがるのか」
独り言のように溢された言葉に、折よく運ばれてきた瓶から彼は豪快に自分のグラスへ注ぐと、また一息に煽る。呆気に取られた私が空のまま置いていたグラスにも並々と透明な液体が注がれた。
「今日は宴会だからな、そいつは奢りだよ」
さっきから説明になっていない、思わず睨め付けた表情の意図するところは正確に察知してもらえたようで、彼はのんびりとこう言った。
「まぁ見りゃすぐにわかる。今夜はスラムの奴らの宴なんだよ。……ほら、噂をすればなんとやら、ってな。英雄のお出座しさ」
どかどかと足音をさせて店へと入って来たのは十数名の集団だった。いずれも煤けた格好で、先頭をきっているのは二人の少年だ。そのうちの一人、長いドレッドヘアを束ねた少年は抑えきれないように嘲笑めいた色を宿している。もう一人は頭のてっぺんに金の髪がつんと立った少年で、その唇は弧を描いているものの、険しく吊り上げられた目は何故だか泣きそうに見えた。
は、と間抜けに落としてしまったのはため息か、それともただの吐息なのか。


(彼の探し人はこの人だと、確信めいた予感が頭を過る)


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あきゅろす。
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