〜宛メメント 涙 首筋に無数に付いた赤や紫の痕を気にしながら、 小走りでアパート裏手の階段を駆け上がる。 203号の扉に軽く体当たりして乱雑に扉を開くと 呆気ないかな、 大きな音を立てて鉄扉は開け放たれる。 随分前からこの部屋の鍵は壊れていて使い物にならなかった。 だがココには盗まれるようなモノは何一つ無い。 と言うよりも、泥棒が―もとい、犯罪者や変質者含めて―こんなトコに近寄るなんて考えられない。 古びた外観は灰色のコンクリートで覆われ、そこかしこに黒い染みやカラースプレーの落書きが目立つ。 珍奇とも怪奇とも言えるこんなボロアパートの借主はきっと貧乏だろうと、盗人さえも近寄らないので あたしは悠長にこうして鍵もかけずに出入りしている訳だ。 玄関に入るなり、あまり役に立たない暗い照明を灯すと、 足元から微かな紙擦れの音が耳に入る。 それは先月、目にしたあの手紙と同じ、白い紙キレ。 「クレド」という名前が記されている事に気付き、 あたしは一瞬で涙を零す。 「…馬鹿みたい…クレド…」 ふいを吐いて出た言葉は、およそ言葉ともつかない嗚咽だった。 自分が泣いて居る訳も解からず、そのまま玄関にへたり込む。 冷たい頬に生温かな涙が零れては落ち、 それはまるで失恋した今時の女の子みたいで気持ち悪かった。 クレドはあたしに会いたがって居る。 でも、あたしはそこへは行けない。 ごめん…… [←][→] [戻る] |