清流に棲む魚
9
翌日から、新居が片付く間もなく新しい勤務先に出勤した。
やって来たのは市内でも有名な医療法人経営の総合病院だった。
大学附属病院以外の医療施設には疎い須田だったが、高名な嶋崎のいるこの施設の眼科医療の水準には、学会での研究発表を聞いて感銘すら覚えた事もあった。
嶋崎を中心にして、チームワークのとれた医師たちの働きぶりには目を見張る。
全体で研究を深め、例え忙しい診療中であっても、診断に困った時は互いに声を掛け合い症例から学び合う。そんなチームの在り方は、須田にとっては新鮮な驚きだった。
一か月の試採用期間は目まぐるしく過ぎて、須田は秋の初めに、その病院の医師職員として正式に採用された。
そしてその間、須田は自分を陥れた者の正体をつきとめる事に成功していた。
写真に共に写っていた相手は、その後連絡が取れなくなって行方が分からなくなっていた。それまでは、向こうの方から積極的に近寄ってきていたはずなのに、自分の離職をきっかけに姿を消した。
あからさまな時期の一致に不審を抱いた須田は、疑惑の焦点を絞って興信所に依頼し、彼を探し当てて真相を明らかにした。
興信所までが動いていたことが余程怖かったのか、彼は事の真相を洗いざらい白状したらしい。
それによって、あの写真の一件は、須田が懇意にしていた同期の眼科医師による捏造だったことが判明した。
彼はあの同期の医師に金で雇われた。
須田が通っていたゲイコミュニティであるバーに出入りしていた彼は、須田に近づいて関係を持つ事が出来れば多額の報酬を支払うと交渉を持ちかけられた。前金を受け取ってから須田に接近し、須田と関係してから残りの半金を受け取った。その時に、自分が何に利用されたのかを知らされて、怖くなって逃げ出したのだと云う。
興信所からの報告では、どうやらあの同期の医師も須田のプライベートを調査したうえで確信を持って仕掛けてきたようだった。
しかし、須田と交渉を持った彼は計画に加担していながら全く罪悪感が無かったわけでもないらしい。そのひとカケラの良心が残した謝罪の言葉を調査員から伝えられて、それがあまりに虚しくて、かえって須田を冷静にさせてしまった。
悔しくてたまらなかったはずなのに、調査報告を受けた時にはそんな感情も冷めていた。
それは多分、新しい岐路に立った今の自分の方が充実していて、幸せだと感じていたからなのかも知れない。
興信所から、今後の対応をどうするのかと確認された。
法的な手段に訴えるかという確認だった。
それすらももうどうでもよくなっていた須田は、写真は合成画像である事を証明して医局へと調査書を送ってもらう事で、この件は終了とした。
古い因習の中で関わってきた人間とは、それから会う事は無かった。
それで良かったのだと、今は心からそう思う。
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