清流に棲む魚
6
「たった、これだけのために……。こんな虚実のために。わたしの今までの評価を捨ててしまわれるのですか!?」
怒りと悲しみと悔しさが、須田に一度に襲いかかる。
冷静ではいられない。
その心情が理解できる部長はひとつの選択肢を提示してきた。
「我々も君を失うのは非常に残念なのだ。だから、君には地方の公立病院への出向をと思っている。待遇は保障するよ」
結局は体裁だけのために、自分を放出するという。須田は憤りを覚えた。
「わたしは、この病院には必要のない人間だと……病院を脅かす人間だと仰りたいのですかっ!?」
須田の言葉は悲鳴にも聞こえる。
ふたりの上司は何も返せなかった。
汚いやり口で人を貶めるやり方は許せない。
誰も、共に働いてきた医師のために矢面に立つという事を選択しない。
体面を保つために、それまで築いてきた信頼さえ無に帰すという保身が許せなかった。
「――こんな」
須田は目の前の老獪なふたりを見据えた。
「こんな病院はっっ!!」
須田が吐き捨てるように叫ぶ。
その時、不意にノックの音と共に、教授を訪ねてきた人物が現れた。
「――嶋崎くん!?」
教授は驚いて訪問者を迎えた。
まずい場面に現れてくれたと、ふたりは狼狽する。
須田はいたたまれなくなって、そこから退室しようとしてドアに向かったが、嶋崎とすれ違ったその時に、腕を取られて引き止められた。
驚いて嶋崎を振り返った須田だったが、嶋崎の視線は教授と部長に向けられていた。
「研修の事でご挨拶に伺ったのですが……。お取り込み中のようでしたので、入りそびれてしまいました」
穏やかな表情の嶋崎だったが、ふたりは暗に今までの会話を聞かれた事を悟り、色を失った。
「そのお話が本当なのであれば、彼はわたしがお預りしてもよろしいでしょうか」
その申し出に、三人は唖然とする。
あまりにも唐突な事に、どう対応していいか分からない。
「彼がフリーエージェントになるのであれば、当院がスカウトしてもいいでしょう。須田先生の評判はよく耳にします。学術研究に於いても優秀な人材だ。いい土産が出来ました」
嶋崎はにっこりと微笑んでから、退室の挨拶を残して研究室から須田を連れ去った。
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