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清流に棲む魚
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 大学病院の医局に籍を置いていた須田は、将来性のある眼科医として期待されている存在で。同期の医師達の間では、羨望と同じだけの強い嫉妬心が向けられていた。

 それに気付かない須田ではなかったが、医師としての仁を貫こうとする信念を揺るぎなく持っている彼にとっては、そんな感情など取るに足らない些末な事だった。

 一年前の春。

 大学病院の医局のカンファレンスルームで、眼科医師による定例の術前検討会が行われた。
 須田もその場に参加していた。

 パワーポイントを用いて、患者の病態と既往歴が報告される。

「左は4年前に翼状片のオペをしています。術後の経過も問題なく……」

 会議用の広いデスクに着いているおのおのの医師の手には、患者情報と方針をまとめてあるレジュメがある。

「今回は、右翼状片による視野障害で、仕事上の支障をきたすという理由で手術を決定しました。合併症もなく、年齢もまだ67才なので外来手術で問題ないと思います。本人もそれを希望しております」

 その患者を担当していたのは須田の同期のひとりだった。
 須田は彼の方針を聞きながらレジュメをめくり、資料としてコピーされている血液検査の結果に注目した。

「――先生」

 須田が軽く挙手してから質問した。

「この検査結果。肝機能が高いみたいですね。GOTとGPTは、まあ……さほどではないようですが、γ-GTPの高値が気になります。感染症のデータは出ていますか?」

 質問を受けた彼は一瞬ピクリと表情を硬くした。大概にして欲しいとでも云いたげな表情を見せながら、それはすぐに穏やかな表情に作り替えられた。

「つい先程結果が出まして、コピーは最後のページになりましたが、HBsもHCVも陰性です」

 須田はうなずきながらそれを聞いてから、続けて自分の意見を述べた。

「それなら尚更、もう一度術前にスクリーニングをしておいた方が良くはありませんか?ウィルス性肝炎が否定されているのであれば、あるいはもっと重篤な疾患が潜在している可能性も考えられます。エコーかMRを組んで、出来れば手術も入院扱いにした方が望ましいのではないでしょうか」

「勿論、術前の血液検査は指示を出してあります。しかし、自営業の方ですから、仕事を長期に休む事が出来ないために外来手術で受けたいとの希望でもありましたので、ご本人が入院に同意されないのでは……」

 彼は不愉快だった。
 こんなカンファレンスの場でも、自分の方針に横槍を入れてくる。
 須田の無遠慮な在り方にはうんざりしていた。

「以前の健診でもアルコールのために高値になった事があると話していました。今回も検査前だと言うのに飲みすぎたと……」

「それにしてもケタが違う」

 すると、それまでふたりのやりとりを黙って聞いていた、眼科部長がおもむろに意見してきた。

「――確かに、たかが翼状片のオペだがね。このデータを見るかぎりでは早急にスクリーニングする必要はあるだろう……。術前検査はいつになっている?」

「はい。来週の火曜日に」

「その時でいいから、上腹部エコーと造影CTを組んで、結果を見てから、必要なら内科に受診させて。……入院が必要かどうかはその結果で検討しよう」

 部長の意見に須田は満足そうな笑顔を見せた。

 しかし、指摘を受けて方針を保留させられた彼の方は、決して穏やかな心境ではなかった。




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あきゅろす。
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