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清流に棲む魚
19





 外来診療が終わったのは六時近くなってからだった。
 手術室から戻ってきた広川医師の診療が再開されたが、それでも予約診療の遅れを完全に取り戻すことはできずに時間を要した。

「嶋崎先生は?」

 診察室から出てきた須田は、開口一番に看護師に尋ねた。

「四階の内科に……先生?」

 全てを伝えないうちに非常階段の扉の中に消えて行ってしまった須田を、看護師は驚いた様子で見送った。

 四階で病棟のナースステーションに嶋崎の病室を尋ねてから、須田は個室の並ぶ廊下を目的の部屋へと早足に進んだ。

 確認した病室のドアの横には、嶋崎の名前が書かれたネームプレートがある。
 須田はノックをして返事を待たずにドアを開けて室内に入った。

「先生……」

 貧血と検査後の疲れが重なり、血の気のないセルロイド人形のような嶋崎の顔色を見て、色を失う。
 体格の良い体は白い柵のベッドに横たえられて、その腕には点滴による補液が繋がっている。

「――先生!」

 喉奥から絞り出された嶋崎を呼ぶそれは、泣き声のように悲しみを伝える。

 須田は、ベッドの傍に膝をついて嶋崎の無骨な手を握った。

「須田先生……?」

 じっと見つめる視線は、熱い情を伝えて嶋崎を戸惑わせる。
 それが、指導者に向ける敬愛の情ではない事に気付いた。

「どうか……どうか。わたしをおいて……いかないでください。先生……」

 握った手を両手で包み、まるで祈りをささげるように額を寄せる。
 熱い涙がその手に伝わってきて、悲嘆する痛々しい様子に嶋崎は驚いた。

「先……」

「あなたがいなくなってしまったら、おれはどうしていいかわからない。あなたを失っては……おれは……」

「いや、須田く……」

「あなたが……おれを導いてくれないと」

 そう言って、ぽろぽろと涙を流して泣き縋る須田を、嶋崎は複雑な心境で見つめた。

「いかないでください。……お願いだから……生きて、先生……」

 勘違いも甚だしい須田の、このひたむきさをどうしていいのかと悩ましい。

 嶋崎はどうしようもなくて途方に暮れる。
 それでも、自分のためにこんなに取り乱す須田が可愛いとも思えた。

 嶋崎は、輸液チューブに繋がれた手で、須田の頭を撫でた。

 ただ、落ち着くまで無言で撫でて、そしておもむろに告げた。

「おれのは……出血性潰瘍だ。クリップで止血して生検も提出してくれた。明日またファイバーで確認するが、多分悪性のものではないだろうと、水越先生に言われたよ」

 そう伝えられても、須田は悲しみに呑まれていて、その言葉すら疑うように嶋崎を見つめる。
 安心させようとしてその場しのぎの事を言っているだけなのではないかと、須田は信じようとしない。

 そんな表情が見て取れて、嶋崎は困ってしまう。

「おれは死なないよ、先生」

 告げられて、抜け殻のようになる表情が何だか切ない。
 嶋崎は複雑な気分だった。




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