清流に棲む魚
17
「須田先生、来週水曜の硝子体のオペに助手で入ってくれないか?」
嶋崎に依頼されて須田は驚いた。
硝子体の手術は繊細な手技と治療ユニットを扱う技術を要する。熟練した術者が担当する。
須田はまだそこまでの技術を持っていなかった。
「わたしが……いいのですか?」
「先生もそろそろ研修に出てもらおうと思っていたんだよ」
「え?」
「糖尿病の専門外来を抱えている以上、硝子体の手術は必須だよ。今は俺と佐藤先生とでローテを組んでいるがそれでも対応は不十分だ」
「それは……」
硝子体の手術は眼底出血の対応だけではない。網膜剥離や黄班裂孔など需要は幅広い。
それをふたりの医師でローテーションするのは、患者数の増加と共に実際は困難になってきていた。
「まずは俺の手術に佐藤先生と入ってもらうよ。助手を経験してみてから研修に出るといい」
研修と聞いて、いささか気持ちが落ち込む。
須田はあまり乗り気ではなかった。
確かに、自分の医師としてのスキルを磨くチャンスは有り難いと思うしそうしたい。けれど、嶋崎と離れるのは嫌だったし、他所の医局とはあまり関わりたくない。そんな子供のような感性を自分が持っていようとはいささか呆れてしまう。
「大学の方に申し込もうと思う。いいか?」
大好きな笑顔で伺われては嫌だなんて言えない。
「研修先はどちらに?」
「札医だよ。ツテがあるんだ」
「市内ですか」
「ああ」
須田はほっとした。
道外に出なければならないかと思ったから、そうなると研修が終わるまでの長い期間を嶋崎と離れて過ごさねばならない。そうではないと知って須田は少しだけ緊張を解いた。
「なんだ?残していけない人でもいたのか?」
須田の分かり易い反応を見て嶋崎はからかう。
そんな悪戯な笑顔まで須田にとっては好きすぎてたまらなくなる。
「――そういう人がいるなら、遠慮しないで家につれて来い。家内も喜ぶ」
嶋崎の家には子供がいない。
若い者にたくさんの料理を振る舞うのが楽しいと言う妻の笑顔が好きな嶋崎にとって、院内の独身医師たちは、妻への格好の捧げものだった。
「いえ……そういうひとは、まだ」
須田は言葉を濁して、複雑な心境で嶋崎を見つめた。
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