清流に棲む魚
12
須田は検診を終えて、次の保育器に向かいながら看護師に尋ねた。
「柚木さん」
看護師のユニフォームの胸に刺繍された名を呼んでみる。
「はい」
須田は次の眼底検査を続けながら尋ねた。
「その胸、本物ですか?」
未熟児の眼底を覗きながら何気なく尋ねる須田の言葉に、看護師の美しい顔が凍りついた。
須田は変わらず淡々としている。
「のどぼとけは目立たない方なんですね」
その指摘で、看護師は更に色を失った。
「どうして……それを」
驚愕のあまり美しい顔を強張らせる。
美人はどんな表情をしても美人だと思う。
「目は利く方でね」
須田はにっこりと笑って、動揺を隠せない彼女と次の保育器に向かった。
「この病院は稀な方が多くて実に嬉しいです。今度ゆっくり、人生を語り合いましょう」
まさか、こんなところで女装子の看護師に出合えるとは思わなかった。
内面のジェンダーまでは分からないが、外見のマイノリティを認めるこの病院の前衛的な在り方に感心してしまう。
「口止め料にセクハラですか」
柚木が怪訝そうな視線を須田に向ける。須田は苦笑した。
「セクハラなんてしませんよ。わたしのイメージダウンにつながる」
須田は全ての検診を終えてから、椅子に腰かけてシステムに診療記録を残した。
「お友達から始めましょう」
そんな事を云ってのけるつかみ所の無い笑顔は、やはり藤本に似ていて相手を惑わせる。
須田にはそんな自覚は全くなかった。
「はい、柚木螢さん。……素敵な名前ですね。本名ですか?」
記録を終えたカルテを差し出してにっこり笑うと、柚木は不機嫌そうにカルテを受け取った。
「残念ながら本名です」
彼女の困惑顔を見て、須田はクスクス笑って立ち上がった。
嬉しそうにナースセンターに戻ってきた須田を見て、篠田が不審そうに尋ねてきた。
「何かあったんですか?」
須田は篠田をチラリと見て応えた。
「いえ……。ここの看護師さんは美人ぞろいでいいですね」
その言葉に、篠田はニヤニヤと締まりのない顔で頷いて同意した。
そんな篠田は、多分彼女が女装子だなんて全く気づいていないのだろうと察して、須田はクスクス笑いながらNICUを後にした。
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