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清流に棲む魚
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 ある月末、須田は眼科的な治療を必要とする、内科入院中の患者の治療日程について嶋崎に相談した。
 外来診療を終えたふたりは、診察室を出て外来受付けカウンターにやって来た。

「――それで、PHCを組みたいのですが、嶋崎先生の枠に空きがありましたのでそこにお願いしてもよろしいでしょうか」

「いつだ?」

「来週の金曜。3日の、15時の枠です」

「その患者さん、入院はいつまで?」

「PHCが終わり次第退院します。DM教育はもう終了しているようですが、眼科の治療を受けてから退院したいと希望がありました」

「そう」

 嶋崎はその日程を考えて、須田に提言した。

「もっと早くPHCを組んでやれないか?」

「え?」

 須田は嶋崎の意図が掴めなかった。

「しかし、予約枠はいっぱいで。これ以上早い日程は組めなかったものですから」

 カウンターにある予約表を確認しながら、須田は状況を説明する。

「じゃあ、来週の火曜の。俺の最後の枠に入れていいよ」

 須田は驚いた。

「でも、先生の枠にはもう3件も入っています」

「定数1オーバー位ならなんとかなる。看護師さんも、ちゃんと対応してくれるから心配ない」

 きっと嶋崎なら無理なく対応できるだろう。ただし時間枠がオーバーする。
 積極的に患者の治療にあたろうとする。それはそれで立派だと思うが、そうまでして緊急性を要する病態ではない。

 須田は釈然としなかった。

「どうして、そうまでして急がなければならないのですか」

「PHCの自己負担額は大きいよ。月初めに組んで入院を長引かせれば、それだけ患者の負担が多くなる。今月中にしてあげたほうが、高額医療費の払い戻しで自己負担限度額内で済むだろう」

 須田は息を呑んだ。

「月をまたぐと医療費は倍に跳ね上がる。早く退院させてやったほうがいい」

 まるで美談だ。
 そんな配慮なんて患者自身には伝わらない。それでも、無理を押して患者の負担を少しでも無くそうとする嶋崎の在り方は須田には驚きだった。

「先生は、いつもそんな事まで考えて診療されているのですか」

 驚きの表情のまま尋ねる須田に嶋崎は笑って答えた。

「ここの医者なら誰でも考えている事だよ」

 医は仁術。
 現代に於てはそれは死語だと思っていた。
 それなのに、この医者ときたらそんな粋な事を自然にやってのける。
 須田は深く感銘を受けた。

「目からうろこが落ちましたよ」

 憧れさえ思わせる須田の視線に、嶋崎は照れくさそうに応えた。

「そりゃ良かった」

 須田は嶋崎の笑顔が嬉しかった。

「やはり、このPHCはわたしがやります」

 嶋崎は感心した視線で返してきた。

「出来るのか?」

「少しでも技術を磨くための、努力をさせて下さい」

 嶋崎は満足そうに微笑んだ。

「――だから君は見どころがあるんだ」

 満足そうな嶋崎の言葉が須田を舞い上がらせた。

 そのまま共に医局に向かって、階段を昇ってゆく。
 嶋崎の広い背中を見上げながら、須田は更に、この計り知れない深みを見せる上司に否応なく魅かれていった。


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