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清流に棲む魚
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 その日は朝から気温が高く、その年の最高気温を記録するだろうと、朝のラジオ番組のパーソナリティが話していたのを思い出した。
 エアコンの効いた車内では実感が湧かなかったが、駐車場に入って一歩車外に踏み出した瞬間に、須田は外気の暑さに辟易した。
 北国と言っても、夏場はそれなりに気温が上がる。
 最近は湿度も相まって日中の環境はひどく不快だ。



 あの日も蒸し暑かった。

 彼は不快な感情を伴う過去の経験を思い出して、額に滲んでくる汗を手の甲で拭った。



 去年の夏。
 都内の大学病院に勤めていた須田は、熱意ある向学心と診療に対する実直で勤勉な姿勢を認められ、特別な期待を向けられる眼科医として医局に席を置いていた。
 分け隔てない公平さと、裏表なく接する人柄。真っ直ぐな正義感を思わせる容姿は、当然のように看護師にも受けが良く、何より患者から慕われて支持を得ていた彼は、その正義感ゆえに一部の医局員からは反感を持たれる存在でもあった。

 まだまだ半人前の自分が、上部から期待されるのが嬉しかった。
 それが、あんな結果をもたらすとは思いも寄らなかった。



「おはようございます」

 院内に入って、スタッフと挨拶を交わす。
 大学病院に比べると規模は小さいが、二次医療機関であるこの医療法人経営の総合病院は、患者数とともに職員の数も少なく無い。
 それなのに、職種を越えて皆が親しげに気軽に声をかけてくる。
 須田は、ここの職員が好きだった。今となっては、この病院に採用された事は本当に幸運だったし、ここへ来て良かったと心から思える。

 須田将人(マサト)、30才。
 彼がこの病院に勤めてからそろそろ1年が経とうとしていた。

 変わらない正義感とそれでいて穏やかで親切な言動は、年配の女性スタッフからは院内の三高ハンサムと謳われ、スポーツマンのように短く刈った髪とそれがよく似合う爽やかな男らしい容姿は、高齢の女性患者にまで幅広い支持を得ていた。
 高身長。高学歴。高収入。
 結婚したい条件の三高と云われても、実際は開業医に比べると勤務医の収入はたかが知れている。それでも、収入の如何にかかわらず、須田はこの病院の雰囲気が気に入っていた。

 医局のドアを開けて朝の挨拶をすると、早くから出勤して朝のテレビ番組や新聞を見ているいつものメンバーが、入ってきた須田に親しげに挨拶を返してくる。

「ああ、須田先生おはよう」

 後ろから声がした。
 振り向くと、そこには自分を追うように医局に入って来た眼科科長の嶋崎がいた。

 学生時代に柔道で慣らした体は、今もガッシリとして逞しい。身長は決して高くはないはずなのに、Lサイズの白衣でもゆとりがない程の優れた体格を誇っている。
 そのくせ、やや丸い童顔は、年齢に不相応な愛敬をたたえて。愛らしいとも形容できる明眸は、残念ながら眼鏡の奥に隠されている。
 40代半ばをとうに過ぎたにもかかわらず、彼のこなす精力的な仕事ぶりは須田の憧れでもある。

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