[携帯モード] [URL送信]

コンサルタント
医局





 翌週の月曜日。
 出勤してきた曽我を見つけた寺崎が、意味ありげにニヤリと笑って「おはようございます」と挨拶してきた。何もかも見透かされているようで、朝から居心地が悪い。
 月曜日の午前の医師体制で、曽我は外来診療を担当している。
 休み明けの外来はいつも混み合い、その日も満員御礼の立て看板を掲げたいほどの混雑ぶりで、外来スタッフは怒濤のような患者対応に追われていた。
 健診に来た妊婦の胎児エコー検査をしながら、まだ冷めやらない身体の熱を持て余していた曽我は、情事の名残りがもたらす苦痛で走査に集中できない。通常であれば容易い胎児計測すらも、何度かのやり直しをして時間を費やした。
 さらに、その日に限って救急車が入って来て、そのために診療は停滞し、余計に混雑を招いていた。
 実際、身体動作のひとつひとつによって、下半身から体内まで痛みが響く。無謀な情事を後悔しながら診療を続けて、くたくたに疲れて午前診療が終わった頃には、外来診察室の壁掛け時計の針が一時を回っていた。
「珍しいね、先生がこんな時間までかかるなんてね……」
 病院の五階にある医局に上がると、午前中は病棟担当だった藤本が、休憩室のソファーにくつろいで、のほほんと茶を一服しながら曽我を迎えた。
「夜遊びは程々にせにゃならんぞ、先生!」
 朝から眠そうに出勤してきた曽我の様子に気付いていた整形外科科長の常磐が、曽我の尻を大きな手のひらで叩いて喝を入れる。恰幅の良い常磐の力強い手で叩かれては堪らない。曽我は痛みに疼いていた場所への手酷い仕打ちに、心の中で悶絶した。
 常磐は曽我の苦痛など知ったこっちゃないと言わんばかりに、わっはっはっと笑いながら医局の奥にある自分のデスクに戻って行った。
「そういうのもセクハラなんだって、分かっていないんだな」
 相変わらず仙人のような穏やかな顔にクスクスと苦笑いを浮かべて藤本が指摘する。
「男の尻を触ってセクハラですか?割に合いませんよそれ」
 藤本と一緒にソファーに座って、昼のテレビ番組を観ていた小児科の青年医師篠田がニヤニヤ笑って混ぜっ返す。
「いやいや、そんなことはない。曽我先生は同性のぼくから見てもいい男ですし、キレイですからね。あんまり常磐なんかに触って欲しくないなあ」
 藤本は至って真面目だった。
 篠田は声を圧し殺して笑っている。
「オペで一緒に着替える時にね、ちょっとドキドキしちゃったりしてね」
 この人はどこまでが本気なんだろう。
 曽我が困惑していると、篠田は堪えきれずにヒィヒィ言いながらソファーに笑い転げた。
「それじゃあ明日の帝王切開カイザーぼくが入ってもいいかなぁ。一緒に入ってドキドキしたい」
 あっはっはっはっ……と藤本が笑い、篠田はヒィヒィ笑い続けた。
 ここの医局は、常にこんなバカ話で和んでいる。医療現場で緊張している反動か……と、医局の片隅にあるデスクで、黙々と仕事を続ける医局事務員と医療秘書の面々は、呆れながらバカ話を聞いていた。そこに常磐が戻って来て、秘書に向かって「売店で中華まん買ってきてくれ」と、千円札を差し出した。常磐の台詞で、藤本と篠田がまたどっと笑った。
 秘書嬢は笑顔で千円札を受け取って、医局から軽やかな足取りで出ていった。なぜなら、お釣りで自分たちのおやつを買ってもいいという常磐との暗黙の約束ごとがあったからだ。
 きっと彼女は大好きなアイスを、デスクの人数分買って帰ってくるに違いない。曽我がそんなことを思いながら秘書嬢を見送っていると、篠田が常磐に向かって失礼な事実を指摘した。
「そんなモンばっかり食うから、職員検診で引っかかるんスよ」
 篠田はヒィヒィ笑い続けている。
「仕方ない。常磐の血液の80パーセントは糖分で占めているからね」
「それ石鹸のモイスチャー成分と同じじゃないスか」
 ゲラゲラ笑う藤本と篠田を見て、常磐はムッとして言い返した。
「ポリフェノールだって毎晩ワインで摂ってる!」
 常磐の偉そうな一言は爆笑を誘う。
 これが医者の言う言葉か?
 曽我は呆れて立ち尽くした。
「そんな食生活をしているから、寺崎さんに自家製フォアグラだの血液が流れているだけで血管痛を起こすだの言われるんだよ」
 藤本が笑って指摘する。
 職員検診の診断は、境界型糖尿病と脂肪肝だった。それはなぜか職員に知れ渡っている。
さては発信源は寺崎だったか?……と、常磐は邪推した。
「あいつだって横綱級のクセに!」
 ムッとして常磐が返すと、それまで沈黙していた曽我が否定した。
「寺崎さんは標準だと思いますが」
「なんだと?」
 常磐は曽我に凄んでみせた。
「かばうところをみると、寺崎と不倫してるって噂は本当だったのか?」
 曽我は驚いて絶句した。どこからそんな噂が飛び出てくるんだと呆れてしまう。
 篠田がゲタゲタ笑う。
「老け専かあ」
――そりゃゲイ専語だ
 心の中でツッコミを入れてから、曽我はなんだか虚しくなった。
「コラコラ。根も葉もない事を言って、ぼくの曽我先生を中傷しちゃいけないよ」
 藤本がたしなめると、更に篠田の笑いを誘った。
 曽我は、何だかもうどうでもよくなって、つられて笑ってしまっていた。



[*前へ][次へ#]

9/16ページ


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!