コンサルタント
Priceless9
ホテルの客室に入ったのは、そろそろ日付が変わろうとしていた頃だった。
セントバレンタインデーと言われる今日。
チョコレートを添えて、愛を伝える行事があって。
曽我は、いつ渡そうかと悩んでいた小箱を鞄から取り出して百瀬に差し出した。
赤い包装紙にダークブラウンのリボンで飾られたそれは、百瀬を幸せの絶頂に押し上げた。
「おれに?」
まさか、チョコレートをもらえるとは思わなかった。
「開けていい?」
「あ……いや。そんな。市販のものだから大した……」
「ああ。ここのチョコレートは美味いんですよ」
曽我の謙遜をよそに中の箱を開けてから、百瀬はそのひとつを抓んで口に入れた。
「うん。美味しい」
幸せに溶けそうな表情で曽我を見つめる。
その視線にさらされて、曽我はかあ……っと赤くなった。
ダークブラウンをメインカラーにしたシックでシンプルな客室。
エグゼクティブクラスに……と勧められているコーナーツインルームは、三方向を望める大きな窓から札幌の美しい夜景が見渡せる。
磨かれた天然木のテーブルを挟んで、向かいの椅子にくつろぐ百瀬は、大人の男の艶を湛えて曽我を魅了する。
上質な生地と仕立てのスーツがしっくりと似合っていて、いつものビジネススーツとは全く違う、と曽我は気付いていた。
製薬の営業には相応の服装がある。
たかが一年目のサラリーマンには、二着目からは半値以下というセットスーツが相応しい。
靴も、小物も、多分それなりに気を遣って、『らしさ』を演出していたに違いない。
今、目の前の百瀬は、素のままでいるのだろうと思う。
曽我との時間のために着飾って、ヘアスタイルから靴のつま先まで手を抜かない紳士ぶりには、曽我は平伏してしまいそうだ。
これが経営コンサルタント、百瀬智春の姿なのだと、曽我は改めて認識した。
そんな曽我の酔うような視線に気付いて、百瀬は口元をほころばせた。
立ち上がって、ストッカーからブランデーを取り出して。
小さな足つきグラスをふたつ携えて再び席に戻る。
「チョコレートとブランデーは結構合いますから」
真新しいボトルの封を切って、グラスに注ぐ。
途端に芳醇な香りがふわりとたちこめて、それだけで曽我は酔いそうになる。
「少しだけにしておきましょう。これ以上酔ってしまうのは避けたい」
百瀬の含んだ物言いに、曽我は敏感に反応して赤くなる。
そんな反応を見て、百瀬はクスクスと笑って上機嫌だった。
「――そのスーツ、素敵ですね。よく似合っています」
百瀬が曽我の服装を満悦な視線で見つめていた。
この日のために新調したが、仕立てるには時間がなくて、既製服を購入していた。
曽我の体型は標準なので、何でも合う事だけが助かっている。
それでも、百瀬の眼鏡に適うのは嬉しい。
「そういう明るい色の方が、柊司さんらしい」
「いつも白衣だから?」
曽我は笑って尋ねた。
曽我が着ているスーツは、サンドベージュにダークブラウンのピンストライプが優しいイメージのしなやかな生地で、それは曽我に良く似合う……と百瀬は思う。
「……というか。清潔感があって、柔らかい雰囲気がとてもあなたらしい」
「ありがとう」
はにかんで俯き加減でブランデーを舐める。
アルコール度数が高いため、香りが良くても舌が痺れるようだ。
「あ……おれからはこれを」
百瀬が手のひらサイズの包みを差し出す。
「おれに?」
「どうぞ」
曽我は箱を受け取って、リボンと包装紙を取ってから蓋を開けた。
その中には、細く裁断されたクラフト紙の緩衝材が三つのチョコレートを優しく包んで。
上質な手作りのチョコレートであることはひと目見ただけで曽我にも分かる。
「こんな……手作りを?」
「自分には作れませんから、ショコラティエに依頼しました」
「君ってひとは……」
こんな事をさも当然のようにやってのけてしまう百瀬の在り方に呆れながら、曽我は嬉しくてたまらない。
「食べて」
百瀬に勧められるまま、曽我は高揚する悦びを気取られないように、感情を圧しながらチョコレートを口に運んだ。
ビターな風味がかえって味わい深いと感じる。
中にはブルーベリーの濃厚なジャムが隠れていた。
程よい酸味が、口の中でチョコレートの甘さと溶け合って、絶妙なバランスで楽しませる。
「美味しい」
曽我は柔らかな笑顔を見せて、百瀬に歓びを伝えた。
「良かった」
百瀬はほっとして、テーブルに置かれた小箱から、生チョコレートを抓んで曽我の口元に運んだ。
蠱惑的な視線で曽我の意識を誘って、甘く誘惑するような表情を見せる。
曽我は、ココアパウダーがコーティングされたそれを、百瀬の指先から唇で受け取った。
唇の隙間から覗く椿色の舌が、百瀬を誘惑し、見つめ合う視線が艶然と絡んで互いに挑発する。
百瀬を見つめたままの曽我の舌が、抓んでいた指先に溶けて残った少量のチョコレートとココアパウダーを、思わせぶりに舐め取った。
「――美味しい」
曽我は自覚のないまま、相手を惑わせるような笑みを含んで百瀬を見つめた。
悪戯っぽく笑う曽我は、なんて小憎らしいほどに可愛いんだろう……と、百瀬は嬉しくてたまらない。
こんな艶っぽい曽我を見るのは久しぶりで、やはり無理を押してでも連れ出して正解だと思えた。
「あなたは本当に、感性の豊かなひとですね」
百瀬は悦に入った表情で曽我を見つめ続ける。
「味覚が敏感で、美味しいものを美味しいと、素直に表現できる」
満足そうに目を細めて、曽我の姿を堪能する。
スーツの中のシャツとネクタイも、淡いダスティグリーンのコントラストカラーで。
仕草も表情も、声さえも柔らかく甘いイメージの曽我には良く似合う。
「――そういう人は、得てして性感も豊かなんだそうです」
百瀬はいつもそう思っていた。
与える快感に敏感に反応して、耽溺するようにそれを好む。
心の部分で色々と七面倒な事情があって、曽我自身は性に溺れる事を拒んではいるが。
曽我の本質は、自覚のない色悪な存在だと百瀬は思う。
そんな指摘を受けて、曽我は困惑した。
「もし、おれがそうなら……。それは全て君のせいだよ」
何気なく最後のチョコレートを口に運ぶ。
百瀬は、そんな曽我を見て視線を緩めた。
グラスのブランデーを揺らすと、室内を淡く灯す照明を反射して、赤みを帯びた琥珀色の光がテーブルに落ちた。
「――自分の経験値はあなたで培われたものです。女相手にどんなに腰を振ろうと、扱下ろされてお終いでした。……忘れたんですか?」
百瀬の昔話に、曽我は思わず吹き出してしまった。
初めて出会った時の百瀬は、世界の終末を見たような悲壮な状態で、形振り構わず曽我に縋ってきたのを今でもよく覚えている。
絶望に囚われて、正常な判断すら出来ないでいた。
そんな状態の百瀬を手に入れて、果たして幸せと言えるのか。
曽我のわだかまりは、実は今でも自身の深淵に深く淀んでいる。
「――君が本気じゃなかったからだろう?」
それは百瀬にとっては痛い指摘だ。
包茎だしカタチ悪いし全然ダメ!!
と、童貞を捧げたはずの彼女に捨てられた。
本当は、そんなことは嘘だったのだと今なら分かる。
曽我を愛するこの感情が本気なのだとしたら、女性に対しての感情は無に等しい。
女性はそういう男の無神経さには敏感だ。
きっと自覚していないところで相手を傷つけていたに違いない。
だから、自分はあんな風に捨てられた。
百瀬は、誠意のなかった自分を恥じて、彼女に対して申し訳ない事をした……と反省していた。
「女の身体を拓くのは男の役割だ。だから……」
曽我の言わんとしている事が分かる。
愛情を注げば注ぐほど、それに応えるように体は変わる。
曽我の体がそうだった。
元々男を受け入れるための女の身体なら尚更だろう。
「おれは……女じゃないけど」
「勿論、魅力的な男性ですよ」
百瀬の色を帯びた視線を向けられて、曽我は身体を熱くした。
男だと分かっていて、百瀬は自分を抱く。
ノンケなら絶対にあり得ない行為を当たり前のようにやってのけて。
だからこそ、惑わされる。
ノンケだったはずなのに。
もしかしたら、バイセクシャルだったのだろうか。
それとも。
自分と同じ。
男しか愛せない類の男なのか。
それはそれでまた、悩ましい事実だと曽我は感じていた。
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