聖戦の礎 ―締結編― (完結)
誕生9
「隼人はん……」
独特なイントネーションの言葉が、一条の記憶を呼び覚ます。
それは、身を切られるような痛みを伴う記憶だった。
「……桔梗?」
初めは気付かなかった。
一条は、素顔の桔梗に対面するのは初めてだった。
だが、その懐かしい声は、記憶の向こうに在る懐かしい記憶を呼び覚ました。
桔梗の表情が更に変わった。
悲しみに歪みながら、自己の感情に呑まれないように必死に耐えていた。
気丈に自分を保とうとしていたにもかかわらず、やがて桔梗の全身が悲しみに支配され、どうしようもなく大粒の涙がぽろぽろと零れてきた。
押し寄せる苦い感情に抗いながらも、小さく身体が震える。
「政宗はんは……」
何かを訴えようとしたが、それは声にはならなかった。
嗚咽にまぎれて口にした名を、傍に居た静香は聞き逃さなかった。
「――あぁぁぁぁぁ……」
突然、慟哭に呑まれた桔梗を前にして、一条は成す術が無い。
激しく泣く桔梗をぶらさげたまま、一条は助けを呼んだ。
「弁慶!!」
「はいっ!」
遅れてやって来た梵天王艦長を傍に呼んで、一条は静香の背中をそのまま武蔵坊に手渡した。
「――桔梗」
一条は桔梗をその場に立たせて向かい合った。
行き場のない感情に押しやられるように縋ってくる桔梗を抱きしめて応える。
「堪忍な。……桔梗」
慟哭に巻き込まれて、一条すら涙声に変わる。
武蔵坊には、一体何が起こっているのか全く分からない。
軽々と桔梗を抱き上げて去って行く一条。
その背中をぼんやりと見送っていると、微かにすすり泣く声に気付いた。
武蔵坊に吊り下げられたまま、去っていくふたりの姿を見送っていた静香の瞳から涙が頬を伝って零れ落ちていた。
ジェイル駐留中にヘルヴェルト軍の襲撃に遭い、遮那王を守って戦場に沈んだ、前梵天王艦長市ケ谷政宗。
桔梗が言う『政宗』とは、その戦死した市ケ谷だと直感して、ふたりの縁を察した静香は悲しみに共鳴した。
そんな事情に疎い武蔵坊は、静香の涙を見て動揺した。
突然の事の顛末についていけない。
そこに、遅らばせながら遮那王副長が現れた。
彼は、宙吊りになっている静香を確認して驚いた。
武蔵坊の非紳士的な行為を非難する。
「弁慶、何を?」
「え?……あ!いや」
視線で責められて動揺する。
武蔵坊の前には、彼と揃いの指揮官用ユニフォームに身を包んだ、遮那王副長に就任した森蘭丸が立っていた。
「放してあげて下さい」
森に促されてから、武蔵坊は我に返って静香を解放した。
森は静香を迎えるように両手を伸ばし、縋るように抱きついてくる身体を抱いて迎えた。
「大丈夫?姐さん」
気遣う森の優しさに、静香は安心感を覚える。
同じフェニックス戦闘機隊出身のふたりには、同朋である事でのある種の信頼関係が成り立っていた。
武蔵坊の存在には全く目もくれず、ふたりは身を寄せ合って、陽本を放置したままその場から去って行ってしまった。
――違う。わたしは何もしていないんだ。泣かせたのはわたしじゃない!
静香の肩を抱く森の後ろ姿に、心の中で叫ぶ武蔵坊。
最後に向けられた、森の冷たい視線が痛かった。
置き去りにされた梵天王艦長、副長ともに、運が悪いとしか言えないこの展開は、梵天の未来を案じさせた。
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