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相応しい男
5





 特別講習と銘打たれた特殊なプログラムは、大陸から離れた島にある特設施設を中心に行われていた。
 体力と持久力、そして精神力が試される基礎訓練は、講習半ばで参加者の約半数をふるいにかけ、受講者たちはその段階で、すでにこの特別講習の厳しさを認識するに至った。
 大部屋に詰め込まれ、まるでサバイバル訓練のような泥にまみれる毎日のなかで、フェニックス代表の三名は、同じ受講者からの冷やかしや圧力に屈する事なく過酷な訓練をこなしてきた。
 参加者のひとりである橘には体格のハンディキャップがあった。絶対的な筋力とウエイトの差があっては、屈強な兵と対等に渡り合うのは厳しい。長い髪も、激しい戦いの中では視界を遮る邪魔にしかならない。橘はそれまで長く延ばしていた髪を自分の手で切り捨てた。驚く西奈と沢口を尻目に、彼はひとり黙々とトレーニングを重ねて体重を増やし、パワー負けしない身体を作り上げる努力をした。主に戦闘員が中心の参加者の中ではオペレーターの存在は弱者にあたり、自身の最高の状態まで身体を作ったとしてもどうしても限界がある。それでも彼は着々と力をつけて、基礎訓練でも他の兵たちと大差無い成績を残せるまでに成長していった。
「橘さん」
 深夜、隣のベッドから姿を消した橘の行方が気になった西奈は、黙々と筋力トレーニングを続ける橘を捜し当てて、トレーニングルームにやって来た。
 もう何時間も続けているのか、彼の全身は汗に濡れてシャツが重そうに皮膚に張り付いている。
 橘はトレーニングを中断して西奈を迎えた。
「どうした?こんな遅くに」
 汗で重くなったシャツを脱いで絞ると、シャツが含んでいた汗が床に滴り落ちた。
「橘さんこそ、少しは休まないと……」
 心配そうに見つめる西奈の視線がくすぐったい。橘はずっと忘れていた感情を思い出した。
「俺は大丈夫だよ。やっと人並みに近づけたんだ」
 一回り大きくなった身体がそれまでの努力を物語る。
 シャツを肩にかけて、トレーニングルームの隅に向かって西奈から離れる。そしてそこに置いてあったパワードリンクのボトルを手にとって、口をつけて一気に流し込んだ。
 西奈は、その姿をずっと目で追っていた。
 そこには、以前の洗練されたスマートな橘の姿はなかった。ボトルを持つ腕が動くたびに、膨らんだ筋肉が汗に光って、その輪郭が力強さを感じさせる。連日の野外訓練ですっかり陽に焼けた肌は、今までとは異質な美しさを生み出していた。
 パワードリンクを飲み干して、橘は大きく息をついた。
「自分が軍人だという事の意味を忘れかけていた。……艦内が戦場になる事もある。俺はそれを経験していたし。いつそうなったとしても、生き延びて任務を全うできるように、セルフコントロールしていかなければならない。俺たちは……俺たち自身が兵器なんだよな」
 微かに笑う顔にある小さな傷痕が、彼の変化の象徴のように見えた。
 白く、染みひとつない肌に、くせのない艶やかな長い髪。スラリとした身体に長い手足が、バランスの良い彼の姿を形作っていた。そして何より、直線を描く鼻筋を中心とした繊細な造形の顔立ちは、意図的に造られたような姿をさらに美しく印象づける。
 その自分の姿を気に入っていたはずの彼が、何もかもかなぐり捨てて兵器として生まれ変わって行く。
 どういう心境の変化なのか。西奈は橘のなかに、こんなに固い意志があったとは思いも寄らなかった。
「──こんな俺……嫌いか?」
 茫然と見つめたまま反応を見せない西奈に、橘は覇気のない笑顔で尋ねた。
 綺麗な橘が好きだと言っていた西奈から見れば、今の自分はどう映るのだろう。
 橘はそれが気掛かりだった。
 もともとヘテロセクシャルな西奈の想いは、今の自分からは遠ざかって行くような予感がする。
 この講習を受講すると決めてから、彼へのライバル意識が芽生えていた事を橘は知っていた。
 西奈の実力は自分が一番よく分かっている。いつかこんな日が来る予感はあった。
 いつまでも主任航海士でいる自分をおいて、統合本部に引き抜かれる西奈に、どうしようもない嫉妬心を抱いてしまう自分が嫌でたまらなかった。だからこそ、嫉妬心など抱かなくても済むように、自分自身も西奈と同じ場所に立ちたかった。
 その結果、自分の在り方がここまで変わってしまうとは、思ってもみなかった。
「いいんだよ西奈。いずれ離れ離れになって、会う時間なんて今よりずっと少なくなる。……俺に縛られることはない。責めたりしないから……忘れてもいい」
 視線を落として力なくつぶやく橘の言葉が信じられない。もしかしたら、彼は自分の事が重荷なのだろうか。しばらく茫然としたままだった西奈は狼狽して橘に尋ねた。
「……もう、自分のことを愛してはくれないのですか?」
 すがるような声が、橘を驚かせて視線を向けさせる。
 その表情は胸の痛みを顕にして、西奈がこんな悲しそうな顔をするとは思わなかった。





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あきゅろす。
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