僕の痛みを君は知らない
5
ほのかなローズガーデンの香りが漂うバスタブにつかって、瞑想気分にひたる。身体が芯から温まって、額からじんわりと汗がにじんできた。
ああ。気持ちいい。
すっかりリラックスして背中を預けた時、おれの腰にあたる部分の変化に気づいて現実を知った。
おれの背後には彼がいて、一緒にバスタブにつかっていた。
「黒木さん」
「うん?」
おれの問いかけに穏やかに返してくる。
「邪念を抱きましたね」
「ばれたか」
はっはっはっ‥‥と笑って己が煩悩の発露を認める。
「新婚初夜に一緒に入浴というシチュエーションは、クるなぁ」
何が新婚初夜だ。おれは呆れて何も云えなかった。
でも、まてよ。
さっきの会話のなかで同じことを言っていたような気がする。
彼は、たしか「花嫁になって」って。
や。冗談だよね?
「黒木さん」
「うん?」
「初夜って」
「初夜だよ」
「花嫁って」
「もちろん。貴史がなってくれるのだろう?」
嬉しそうに笑う彼を見ておれは身の危険を感じた。
心の準備がまだできていないんだよ。
彼から逃れたいがために、バスタブから勢い良く立ち上がると、頭からすっと血の気が引いて来た。
しまった。グレイアウトだ。
「貴史!」
そのまま後ろに倒れそうになったおれを彼が抱きとめた。
「――ったく。パイロットが何をやってる」
彼はおれを抱いたまま呆れて指摘する。
風呂場でふんばりが利くか。と不貞腐れるおれ。
けれど、朦朧とした意識ではなにも言い返せない。
あ、まずい。これでは彼のなすがままになってしまう。
そう思った途端に、抵抗できないおれの身体を彼の手が愛撫してきた。
熱いキスがおれの口を塞ぐ。
吸って。くすぐるように舌先で舐めて。熱い唇で包まれて、中の敏感なところまで惜しみなく愛撫をくれる。
やばい。意識戻ってきたのに、やたら気持ち良くて溺れそうだ。
「――……ってぇ! どさくさにまぎれてなにするんですかっっ!! 息できないじゃないですかっっ!! 」
「なんだ、元気じゃないか」
やっと感覚を取り戻して逃れたおれに対して、彼は残念そうに呟いた。
そしてすぐに、ふたたび邪心を匂わせる微笑みを向けてきた。
「貴史」
肩を吸われて快感がはしる。
抱きしめてくる身体の熱で、おれの身体が溶け落ちてしまいそうだ。
息が苦しい。
「ここじゃ、のぼせそうだよ」
時間を稼いでなんとかしたい。
おれは少し甘えてみた。
「うん。そうだな」
彼はおれを放して立ち上がった。
「もっと、ゆっくり落ち着ける所に行こう」
蠱惑的な笑顔がおれを挑発している。
もしかしたら墓穴を掘ってしまったのだろうかと、いささか後悔した。
バスタブから上がってバスタオルで滴を拭っていると、下着を穿いた彼が動きを止めた。
険しい表情でドアの外に集中している。
なんだろう。
「黒木さん?」
彼はおれに待つように手で合図してから、バスルームのドアを少しだけ開けて室内の様子を覗いた。
「貴史。すぐに支度しろ」
「え?」
何が起こったというのだろう。
「敵襲だ、早く服を着ろ」
開け放たれたドアの向こうで、床の上をサーチライトが這い回っている。
そして、サーチライトが一点で動かなくなった時、突然の爆音とガラスが破壊される音が同時に起こって、外の騒音が室内にあふれんばかりに飛び込んできた。
いきなり戦場に投げ出されたようだ。
室内に機銃が向けられて掃射されているらしい。重い爆音はヘリのローターの音だろう。
おれはセーターを手にしたまま、愕然として動けなかった。
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