僕の痛みを君は知らない
27
響姫先生の家から帰る途中、街中で携帯が鳴った。
こんな夜に誰だろう。
「――はい」
『貴史?』
「黒木さん?」
突然どうしたんだろう。
救けてくれたあの日から、ぜんぜん音沙汰なしだったのに。
『やっと休みがとれた。これから逢えるか?』
正直言ってすごく嬉しい。
あのときのデートは散々だったし、あれからいろんなことがあったから、彼とはゆっくり会いたかった。
おれはすぐにOKして、彼との約束を取り付けた。
自分の居場所を答えて、そこで待つように言われた。
10分待った。
結局このパターンからは抜け出せないらしい。
でも、なぜだろう。待っている時間が苦にならない。
彼に逢えるのがこんなに嬉しいなんて……。
また、雪が降って来た。
綿毛のようなそれは、差し出した手のひらの中ですうっと溶けてなくなってしまった。
おれは、志し半ばで泣きを見たくはない。地上にたどり着けないまま、溶けて無くなるなんてまっぴらだ。
せっかく新たな目標を見つけたんだ。おれは、彼等とともにずっと生きていたい。
おれは、今まで多くの仲間たちに生かされてきた。それに応える必要は十分にあると思う。どうでもいい存在じゃないみたいだから、少しだけ自信を持って、上を向いて生きていこう。
そんな風に考えると、穏やかな気分になってくるから不思議だ。
やがて、彼を待つおれの前に、黒光りするデカイ高級車が止まった。
すごい。こんな間近でお目にかかるのは初めてだ。だいたいどんな人種がどういうつもりでこんなモノを乗り回すのか……。
絶対に権力の象徴だよなあ。ヤダヤダ……。
なんて思っていたら、後部座席から彼が降りて来た。
……っ、ええっっ!? 黒木さんが?
いかにも財界の大物。今夜も上質なスーツ姿でのご登場だ。
ああ……。おれが『愛人』と思われるのは仕方がないのかなぁ。こんな普通のおれが彼の傍にいれば、『情夫』か『タカリ』にしか見えないよな。
驚き過ぎたおれは身動きもできなかった。
「貴史。生きていてくれて嬉しいよ」
おれの手を取って指にくちづける。
毎回逢うたびの恒例だったけど、もしかしてこれって騎士が姫君にする行動と一緒なんじゃないのか?
……なんて、今頃気づいてしまった。
おれって、子供じゃなくてお姫様だったのか?
あ、花嫁とか言われていたくらいだし。
あれえぇぇぇぇぇ。なんだか複雑な気分だ。
「さあ、乗って」
彼に促されるまま乗り込むと、運転手らしくない男が運転席に座っていた。これは、どう考えてもタクシーじゃないよな。
おれの疑問を乗せたまま、車は郊外へと向かって行く。
車内で他愛の無い話をしながら時間をつぶしていると、閑静な住宅街へと入って行った。こんなところにホテルがあるのかと思っていたら、住宅街を抜けて五分ほど林道を走り続けてから、突然ひらけた広い敷地に出て、そのむこうにある豪邸へと向かって行った。
それは、どう見てもホテルの造りじゃない。
車が屋敷の前で止まった。
大きな。本当に大きなドアが開いて、中から身なりのいい紳士が現れて彼を迎えた。
運転手が車のドアを開けて、おれを外に促す。
「お帰りなさいませ。旦那様」
だ……んな様?
紳士がうやうやしく彼に挨拶をした。
なんかおれって、やっぱ場違いかな。
彼が運転手をねぎらい、仕事の終わりを告げて解放した。黒光りする高級車は仕事用なわけか。
「久しぶりだな。変わりなかったか?」
穏やかに微笑み返す彼を屋敷の中に迎え入れる。
「それはもう。めったにおいでにならないので、家内も寂しがっておりました」
紳士はそう言ってからおれを見た。
「あのお方は?」
「ああ……。おいで貴史。今日もいきなり『部屋』だが、ここなら気に入ると思ってな」
誘われるまま彼の傍に向かった。
「貴史様。……この方が」
紳士は驚いておれを見た。
どういう意味の驚きだ。
「随分とお美しくていらっしゃる。驚きました。旦那様もお目が高い」
紳士はそんな事を嬉しそうに話しながら、おれを屋敷に迎え入れた。
黒木さんは彼におれの事を話しているってコトか。
「これでは、しばらく女中頭がうるさいでしょうなぁ」
「相変わらず美形好きかい?」
「そりゃあもう……」
うんざりしたような表情で彼のコートを預かる。
「貴史様も上着をお脱ぎになって、ごゆっくりおくつろぎください」
その、貴史様ってのなんとかしてほしいな。
「ご夕食はいかがなさいますか?」
この時間だ、夕食には遅すぎる。……でも、確認するんだな。
それにしても、この紳士はいったい何者だろう。
「済ませてきたよ。……貴史は?」
「あ……僕も」
先生のところで、いいだけ御馳走になってきた。
「じゃあ、あとで寝室にワインでも持って来てくれ」
「かしこまりました」
「浴室は使えるか?」
「はい。ご用意いたしました」
彼は満足そうに礼を言うと、おれを伴って階上に上がった。ゆったりとしたカーブを描く広い階段には絨毯が張り付けられていて、その丁寧な造りとデザインは年代を感じさせる。二階に上がって、通路の一番奥の一枚板の木のドアを開けると、そこは寝室というには広すぎるほどの空間だった。
たぶん、この屋敷で彼がくつろぐための空間なんだろうな。
まるで、上級なホテルのスイートルームじゃないか。
「バトラーが風呂の用意をしてくれた。使うだろう?」
バ……バトラーですか?
あの紳士は、この屋敷の執事だったのか?
「あの……。ここは、その……」
おれは、根本的なところを理解していなかった。
ここは一体なんなんだ。
「おれの家だが。気に入らなかったか?」
スーツを脱いでラフな室内着に着替えた彼は、不安そうにおれを見つめた。
「いや、そうじゃなくて。こんな、すごい屋敷に住んでいるなんて、知らなかったから」
彼が財界の黒幕だと聞かされてから、その偉大さはなんとなく知っていたけど、こういう現実には免疫がない。
「俺の事を、いろいろ知りたかったのだろう?」
だから連れて来たっていうのか?
「俺の立場が原因で、貴史にも迷惑をかけた。今まで隠し通してきたつもりだったが、目ざとい奴はどこにでもいるものだな。今更隠す意味もなくなってしまったし……。貴史も、なぜ自分が狙われたのか知っているのだろう?」
そうだな、いままでホテルで過ごして来た意味も、今ならなんとなく分かるような気がする。おれの存在は、ひとに知られてはならなかったんだ。
おれが狙われるから、この屋敷に出入りさせられなかったんだ。そうでしょう?黒木さん。
「ゆっくり、少しずつ教えてあげるよ。君がショックを受けない程度にね」
意味深な笑い。まるで、住む世界が違うと言われているようだ。
「――さあ、風呂に入ってすっきりしてから、話すとしようか。な?」
おれは彼に連れられて、浴室に向かった。
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