[携帯モード] [URL送信]

楽園の紛糾
setuna8





 軽い気持ちでついて来た。
 一時の慰めが欲しいだけだった。
 それが、随分と当てがはずれたものだと、野村は苦笑した。
 今まで、こんなふうに相手に引き留められたことなど無かった。
 行きずりの恋愛関係はドライで、欲望が満たされればその後の感情は冷えてゆく。
 勿論、朝まで一緒に過ごした事は一度も無い。黒木とでさえ人目が気になって、ゆっくりと過ごした事など無かった。
 何が自分を変えたのだろうと不思議だった。
 今まで頑なだった自分を、ほんの少し和らげて微笑んでみるだけで、世界が変わったように見える。
 地球とは違うHEAVENは、野村にとっての安息の地となっていた。

 ベッドを降りて、シャワーを借りるために部屋を出た。部屋の奥にあるバスユニットを見つけて、野村はそれを拝借した。
 シャワーを浴びながら、その殺風景さに気づく。
 しばらく留守にしていたとはいえ、それまでも毎日使っているようには見えない。まだあまり使っていないボデイソープとシャンプーの類いだけがあり、いかにも独身男性の独り住まいといった生活感のない様子だった。
 バスユニットを出て、服を身につけてからドライヤーを当てる。ドレッサーも同様の殺風景さで、本当にここに住んでいるのかと疑問が生じる。
 ただ、部屋に戻ってみると、結構なオーディオが揃っているのに気づく。
 数々のディスクケースが整然と並んでいて、野村はそのひとつを手にとって見た。
 そのディスクは、HEAVENにやって来てからすぐに気に入ったグループのものだった。
 野村自身も音楽は好きで。いつもディスクプレイヤーを離さないでいるほうなので、趣味が合いそうだと思う。
 壁一面の特殊なディスプレイが気になる。
 一度フェニックス艦内のディスプレイを拝借してアーティストのプロモーションビデオを見た事があった。それは最高の臨場感をもたらしてくれて、このディスプレイもそれに劣らない。
 野村はまだ、このグループのライブを見た事がなかった。
 音だけの存在だった彼等の姿を少しだけ見てみたい。そんな衝動に駆られて、野村はオーディオのスイッチを入れてディスクをセットした。
『−EXCEL− 7DAYS BAYHALL CONCERT TOUR [』
 グラフィックアートで飾られたタイトルとともにライブが始まる。
 ファンの喚声が上がり、会場はすぐに熱気に包まれていった。
 軽い気持ちでセットしたそれは、迫りくる臨場感で野村を呑み込んでゆく。そのファンの喚声から、野村は信じられない予感を抱いた。
「ま……さか」
 画面を見つめたまま茫然とした。
 オープニングが最高潮に達したときに、舞台の幕が切って落とされた。
 高まるファンの喚声とともに現れたグループのヴォーカルは、そのディスクの持ち主、聖だった。
 ファンが聖の名を叫ぶ。
 エネルギーに満ちたそのライブは、野村にとって悲しいほど感動的だった。
「ツアーって、コンサートツアーの事だったのか……」
 生活感がない事も肯ける。
 こんな人物なら何もかもが忙殺されて、部屋に戻る事などめったにないのだろう。
 HEAVENで売れているグループのひとつだった。
 様々なメディアからその曲を耳にする事ができる。
 野村はエネルギッシュに歌う聖を悲しそうに見つめて、やがて諦めたような表情でつぶやいた。
「だめだよ聖。連絡なんて、できないよ」
 曲の合間の、聖の笑顔が眩しい。
「――なんで、俺なんか……」
 キスに添えられた笑顔が優しかった。
 別れ際に残された、縋るような視線は、多分嘘じゃないだろう。
 けれど、住んでいる世界があまりにも違いすぎる。
 中田の例を取ってみても、簡単には済まないのは分かっていた。
 平凡な日常の、穏やかでささやかな幸せが欲しかった。日常まで戦場と化してはやりきれない。
 野村はゆっくりと立ち上がって、オーディオのスイッチを切った。
 そして、自分の痕跡を消すように、使った物を片付けてから部屋を出て。
 二度と開けることがないであろうドアを閉じた。





1.setuna
――終――


[*前へ]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!