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楽園の紛糾
LIFE7





「ほら、メシだぞ」
 あまりにも腹が減ったとうるさい沢口に、杉崎は厨房に依頼して弁当を作ってもらい、ブリッヂまで持参して来た。
 弁当を喜んで受け取った沢口は、さっそく座席でそれをひろげて食事を始めた。
 杉崎もまた操舵席に腰掛け、同様に夕食を摂り始めた。
「ほら」
 ポットから温かいお茶を注いだカップを沢口に差し出す。
「ん……」
 指先についた米粒を唇で拭ってから、その手でカップを受け取る。
 カップの温もりはつかの間の幸せを象徴して、こんな普通の時間が実はなかなか貴重だったりする事に、ふたりは気づいていた。
 ふたりきりで過ごす穏やかな何でもない時間。沢口は、本当はずっとこんな時に憧れていた。
 杉崎がブリッヂで食事を共にする必要はなかった。それなのに、あえて沢口と一緒に過ごすのには、たったひとつの理由しかない。
 以前、ガイアスのコックピットで杉崎とふたりきりになったとき、嬉しくて心臓が暴れているんじゃないかと思えるほどのときめきがあった事を思い出した。
 今はそんな緊張感が失われた代わりに、もっと満ち足りた何かが生まれていた。
 杉崎は物言いたげな沢口の瞳に気付いた。
「なんだ?」
 沢口はクスッと笑った。
「艦長のお給仕で食事出来るなんて、贅沢だなって思って」
「こんなんで満足してもらえるとは、光栄だよ」
 沢口のマイペースぶりに辟易していた杉崎は、苦笑する。
 沢口が欲しかったものは、きっとこんなことの積み重ねなのだろうと思うと、なんだか堪らなく愛おしく思えてきた。
「急いだんで、握り飯だけになってしまったが」
「美味しいよ。ちゃんとご飯食べたの久しぶりだし……」
「今まで何食ってたんだ?」
「酒とドラッグと、野郎のコッ」
「言わんでいいっっ!!」
 可愛い顔をして、下品な事を平気で言う。
 折角の穏やかな気分が、デリカシーのない言葉で壊されてしまった。





 深夜1時。ふたたび交替の時間がやってきた。
「お疲れ。……早く帰って寝ろよ。きっと昼までに招集がかかるぞ」
 ブリッヂに現れた立川が沢口を追い立てる。沢口は席を立ってから指令席についた立川の傍に寄って、懐かしい顔を眺めた。
「どうした?」
「フェニックスの副長に就いたなんて、知りませんでした」
 嬉しそうに見上げる沢口を見て、立川は苦笑して返した。
「おまえが辞表を出したなんて、俺は知らなかったぞ」
 少しだけ咎める立川に、沢口は困惑する。
「迎えに行けばボロボロの状態でメディカルセンター直行だし……。あんまり心配かけんなよ」
 オレンジ色の頭を撫でて、立川は微笑んだ。
「済みません……」
 いつも自分を励ましてくれていた彼は、変わらずに自分を迎え入れてくれた。それが嬉しくて、立川に対してだけは素直なままでいられる。
 そんな安心感が沢口のなかにあった。
「杉はんとはどうなってるんだ?おまえをメディカルセンターにかつぎ込んだ後、過労で倒れてしまって……。なんとか復活したみたいだが」
 自分が倒れていた間の事を言われても、知るはずがない。しかし、その事実は沢口に衝撃を与えた。
「倒れた……?」
「ギャラクシアの調整に駆り出されて、おまえが欠勤していた事に気づかなかったんだ。辞表の件もあって、おまえの事が心配で丸一日街を捜し回った揚げ句、やっと見つけたおまえはバッドトリップに落ちてるし……オーバーヒートで切れて当然だろう」
 茫然とする沢口の心情を察して、立川は真実を告げる。
 今まで立川自身も判断出来なかった事実がやっと明らかになったのだ。
 沢口に対してそれを告げる事ができるのは自分しかいないと思う。
「杉はんをどう思う。今でもちゃんと好きでいるのか?」
 沢口は自分の迷いを指摘されたようで、即答できなかった。
「正直言って、俺自身も迷っていた。おまえの気持ちを知っていたし、杉はんの面倒な事情も知っていた。中途半端に関わって、下手な期待をさせるのはかえって残酷だと詰めた事もある。だが、やっぱり俺には、おまえたちがどうしようもなく魅かれあっているように見えてならなかった」
 気持ちを代弁されているようで胸が痛い。
 沢口は黙って耳を傾けていた。
「杉はんはおまえを部下として見ちゃいない。もう、それだけの感情ではないという事にいい加減気づいているはずだ」
 杉崎の想いを語る立川の言葉は、多分信じていいのだろう。
 杉崎も同様の事を言っていたことを思い出す。
「おまえが壊れてしまったのは、自分のせいだと責めていた。おまえの気持ちにちゃんと応えなかったからと、ひどく後悔していた。あのときの状態では、応える事が出来なくても仕方がないはずなのに。……そうやって自分を責め続けて、ダウンしちまった」
 立川は沢口に訴えた。
 杉崎に対して素直になりきれない沢口の在り方が、不自然に思えてならなかった。
「杉はんの事を信じてやって欲しい。決しておまえに気を持たせて焦らしていたわけじゃないし、騙していた訳でもない。あのひとはあのひとなりに苦しんでいた。あのとき直ぐにおまえに逃げ込んでしまえば、かえっておまえを傷つけたろう。自分本位でいられなかったからこそ、まわりくどくて本当の気持ちが見えなくなってしまった。……決していい加減な気持ちじゃないって事を分かってやって欲しい」
 沢口は、自分の感情が溢れそうになっている事に気づいた。
 全身が痛んで、今まで解放できなかった悲しみを訴える。
「信じられなかったんです。急に、愛してるって言われても……同情されているだけのような気がして」
 感情の波に呑まれた沢口の目に、涙がにじんできた。
「だって、今までそんな素振り見せなかったのに……。きっと、俺がこんなふうになってしまったから、責任感だけで……。以前のままだったら、愛してなんてくれなかったんだろう…って思えて」
 時折声を詰まらせながら、途切れ途切れに想いを綴る。
「確かに、おまえなら少しぐらい待っていてくれるだろう…って甘えもあったかもしれない。だが、状況が変わってあのひとも焦ったんだろう」
 ずっと傍観してきた立川だったからこそ、伝えられる想いがある。
「でもな……ずっとおまえの成長を見守って来ていた。ずっとおまえの存在を愛していた。今なら迷わずにそう言える」
 沢口は矢も盾も堪らず立川に抱き着いた。
 その背中を抱いて愛おしむ立川にとっても、沢口は大切な存在だった。
「信じてやってくれ……。俺だって、おまえたちには幸せになって欲しいんだ」
 立川は心からそう願っていた。




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あきゅろす。
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