[携帯モード] [URL送信]

楽園の紛糾
LIFE3





「何か飲む?」
 士官室に戻った橘は、沢口に尋ねた。
「いや……いいよ。ありがとう」
 沢口はソファに身体を預けて応えた。
「そう」
 橘は冷蔵庫からひとつだけアルミパックを取り出して、ドアを閉めた。
「痩せたね……」
 パックの口を開けてアイソトニックドリンクを含みながら、沢口の隣に腰掛けた。
「うん。……でも、おまえと同じくらいはあると思うよ」
 自分と同じくらいといっても、もともとの骨格が違う。橘は沢口の変貌に納得がいった。
 多分10kg近くは減量してしまったのだろうと思えた。
 沢口は、そんな事にこだわることもなく、内ポケットから煙草を取り出してその一本をくわえた。
「ワルイ、火貸して」
「ああ」
 橘はライターを取り出して沢口の煙草に火を点けた。
「それ」
「うん?」
「おまえの?」
 いつもの煙草と銘柄が違う事を指摘する。
 沢口はクスッと笑った。
「ちょっとね、お貰いさんしてきた」
「それ、艦長が喫ってた」
 橘は気付いていた。
「響姫先生だって喫ってるよ」
 何くわぬ顔で答える沢口を、橘は探るような視線で見つめる。
「失恋した……って?」
「うん」
「誰に?」
 怪訝そうな視線に気付いて、沢口は橘を見つめ返す。
 賭け引きめいたやりとりに、橘は沢口との距離を感じた。
「なに?今更。……俺が好きだったの、艦長しかいないよ」
「失恋した相手から、煙草をせしめるのか」
 橘の洞察に、沢口はどうしても堪えられずに、ついに笑い声を漏らしてしまった。
「なんだよ。なにがおかしい?」
 橘は真剣に沢口に向かった。
「ごめん……。でも、心配してくれてんのはちゃんと分かってる。ありがとう」
 沢口は穏やかに微笑み返した。
「一体どういう事なんだ?もっとちゃんと説明してくれ」
 橘は呆れて尋ねる。
「自分じゃ、ホントに失恋したと思っていたんだ。だから、新しい自分を作りたくて足掻いた結果がこれだし、傍に居たくなくて辞表も提出した」
 そこまでは、何となく橘にも理解できる。
「でも、忘れられなかった。いろんなヤツと寝てもみたけど、どうしてもシラフじゃダメで、ドラッグにも手を出した」
 何でもない事のように話す沢口。橘は愕然とした。
 自分が知る限り、無垢だったはずの沢口が、こんな短期間のうちにそこまで堕ちてしまうとは信じられない。
 その反応に沢口は失笑する。
「自分はもうこのまま奈落までいくんだろうな……って思っていた。身体ひとつで生きて行ける街だったから、そんな生き方も出来るかなって思い始めた時に、あのひとが迎えに来た」
 自嘲ぎみに、それでも憂いながら語る沢口の心情を思うと、橘は堪らなくなった。
「あの人を信じたくなかった……。先生との事が誤解だと言われても、俺を欲しいと言ってくれても。部下としての俺を欲しいだけなら、もうゴメンだと思った。俺は自分を正当化して、自分を守りたかった。こうなったのはアンタのせいだって、思い知らせてやりたかった」
 橘の表情があえかに変化する。
「俺はもう以前の俺じゃない。外見どおりの不健全なストリートボーイで、男に貢がせて身体売ってた。なのに、そんな事も承知で身受けしてくれたよ……。お人よしだから、あのひと」
 沢口は複雑な感情を持て余して、自嘲気味な笑顔を見せた。
「こんな顛末でも幸せって言うのかな。俺じゃない奴が、あの人に抱かれているように思えて。……でも、俺はやっぱり俺なのかな。なんだか複雑な気分で……妙に冷めてくる」
 滲んでくる橘の涙を指で拭う。曇る表情が泣きそうに見えて、橘は沢口の苦悩を知った。
「おまえはおまえだよ。どんな姿でいたって、何をしていたって、おまえの本質は変わらないだろう?艦長をずっと好きでいたおまえに変わりはない」
 橘は沢口にすがるように訴えた。
「優しいな。……おまえはいつも優しい」
 沢口は橘の身体をそっと抱き締めた。
「もし、俺が……。何も変わらずに、あのままフェニックスに残っていたとしたら、あのひとは俺を愛してくれただろうか。そんな事さえ疑ってしまう自分は、やっぱり変わってしまったのかなって思えたりして」
「そんなコトない。艦長にとっておまえは特別だった。俺にはそう見えたよ」
「ホントは、おまえにこうやって触れる事さえダメだって思えるんだ……。まあ、別なイミで、もう触れちゃいけないのかもな」
 少しだけ寂しそうに視線を落としてから、もう一度橘を見つめた。
「西奈が凄い形相で俺を睨んでた。あれって……そういうイミ?」
 鋭い指摘に、涙で濡れた顔が不意に赤くなった。
「いつの間にデキちゃったの?」
 橘は困惑しながら沢口を見つめた。
「おまえとおんなじだよ」
 きまりが悪くて拗ねたように答える橘の涙の残りを、沢口の袖がぬぐい取る。
「誰でも良かった。形のある安心が欲しくて……片っ端から女抱いて、いつのまにか金が手元に残るようになってた。そんな無節操な世界に呑み込まれて……何もかも嫌んなって爆発したときに、西奈が傍にいた」
 確かに似たような境遇だと沢口は驚いた。
「なんだか、その場の勢いで……。その、俺の事好きだって言うから」
 たどたどしく話す橘の気まずそうな表情が、幸せそうに見える。
「あいつ、優しかった?」
 沢口の問いに、橘の顔がさらに赤くなった。
「……西奈と寝て、幸せだったの?」
 そう尋ねられて、橘は沢口の本意を探るように見つめ返した。やがて、なにも包み隠さずにそれを認めた。
「うん。……あったかくて、安心できて。あの感じが幸せだっていうのなら、多分そうなんだろうな」
 橘の告白に、沢口は穏やかに微笑み返した。
「人肌のあったかさって、なんだか安心するよな」
「うん」
 橘は素直に答える。
 その、飾る事も隠すこともない感情が羨ましくもある。
 沢口は、視線を逸らして煙草の火をもみ消して、煙りの名残りを眺めながら思う事を口にした。




[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!