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楽園の紛糾
LIFE2





 オートパイロットに全てを任せた橘は、操舵席でゆっくりとくつろいでいた。
 当直の交替間近でもある深夜1時のブリッヂは、微かな動力システムの唸りだけが響いて眠気が誘われる。
 やっと休める。
 そんな解放感で、疲れた身体を座席に預けていると、不意に背中から何者かに抱き着かれて動揺を見せた。
「西奈、こんなトコで」
 困惑した表情で振り向いた橘は、見知らぬ人物を見てさらに動揺した。
 スタンドカラ―のユニフォームは確かにブリッヂオペレーターのものなのに、派手なオレンジ色の髪とピアスを飾ったその姿には見覚えが無い。
「何で『西奈』なわけ?」
 橘に会いにやってきた沢口は、唖然として尋ねた。
 その聞き覚えのある声は、なぜか橘を切なくさせる。
「ごめん。変わっちゃったから、分かんないか」
 橘の様子から、沢口は自分の姿を自覚した。
 よく見るとある人物の面影があった。
「沢口?」
 すぐ分からなくて当然だった。
 明るいオレンジ色のまっすぐな髪と、細く整えられた眉の形がまるで別人で、心なしかユニフォームのサイズが合っていないように見える。
 詰め襟からのぞく首筋も顔の輪郭も華奢で、細く小さな顔には、耳に飾られた金のピアスが映えている。
 たったひと月しか経っていないのに、以前の沢口からは到底想像もつかない姿だったが、その声は沢口に間違いなかった。
「どうした、の?」
 沢口が帰ってきた喜びよりも、その姿に驚きを隠せない橘の様子は、沢口の失笑を買った。
「ちょっとね。……失恋しちゃったから、気分転換したかったんだ」
 微笑みで返す沢口の姿は、気分転換どころの変わり様ではない。余程の傷心を抱えて苦しんだ後のようにしか見えなくて。痩せたというよりはやつれた様子で、艶を含んだ眼差しが憂いを秘めている。
 なんだか随分と色っぽいと思えた。
「沢口……」
 しかし、微笑んだときの口元と少しだけ下がる目尻の愛らしさは変わらない。
 その笑顔でやっと安心した橘は、席から立ち上がって抱きついた。
 抱き返す腕が変わらずに橘を包んで、橘は沢口を実感する。
「ごめんな。……心配かけてゴメン」
 沢口は謝るけれど、橘はそんな沢口を責めるつもりはない。
 沢口がどんなに傷ついてきたのかが痛いほど分かる。
「俺のほうこそ、傍に居てあげられなくてゴメン」
 沢口が失恋した相手を知っている。
 その相手に連れ戻されて帰ってきた。
 それは随分辛い事だったろうと思うと、切なくて堪らない。
 自分が抱えていた痛みにも似て、その心を案じる。
 傷ついた沢口を癒してくれる人は居たのだろうか。
 それだけが気掛かりで、橘は沢口の笑顔を見てもなんだか安心できなかった。
「俺、自分の事だけで精一杯で、おまえの事を考える余裕すらなかった。……本当にゴメン」
「なに?橘こそどうしたの?」
 橘は反対に指摘されて、話すべきか否か迷った。
 困惑しながら沢口を見つめて、互いに見えていなかった時間に、辞表を提出するほどの何があったのかを知りたいと思う。
「あの……もう交替だから、待っていてくれる? 話したい事があるんだ」
「うん。そか。1時だから、もう時間だな」
 沢口が応えると、ちょうどブリッジのドアが開いて西奈が現れた。
 身体を寄せ会ったまま約束を交わすふたりの姿を見て、西奈の感情は凍りついて入り口で立ち止まってしまった。
 見知らぬ男と親しげに寄り添って、幸せそうに表情を和らげている橘の姿が信じられない。
 橘は、西奈の狼狽に気付かないまま笑顔で迎えた。
「西奈。変わりなかったから、あとよろしく」
 橘はいつもと変わらない様子で西奈に告げる。
 その笑顔に、何も返せないで硬い表情のままでいる西奈に、橘はやっと不審を抱いた。
 動揺を隠しきれない様子が伝わってくる。
「西奈?」
 どうしたのかと視線で尋ねる。
「いえ。……何でもありません。お疲れさまです」
 目を逸らす西奈は、早くこのふたりから逃れたかった。
 ドロドロとした嫉妬心でおかしくなりそうで、早く自分の視界から消え去ってもらわないと、相手の男を殴り倒してしまいそうになる。
 橘はそんな辛そうな表情にやっと気づいて、西奈がどう仕様もない葛藤を抱えている事を知った。
「西奈」
 橘は嬉しくなって西奈にふわりと抱きついた。
 沢口は橘の行動に驚いたが、西奈の方は恐慌に近い驚きを見せた。
「橘さん!」
 人前でこんな事をしてはまずい。
 西奈は橘を咎めた。
「違うよ西奈。彼は沢口だよ」
 沢口の変貌を知らない西奈の誤解を知ってクスクスと笑う。
「沢口さん?」
 西奈は沢口を見て茫然とする。
 一体彼に何事が起きたのか。今までの彼からは想像もつかないその姿に西奈は絶句した。
 沢口はにっこりと笑って応える。
「久しぶり。心配かけて済まなかったね」
 辞表を提出するほどの何が彼を変えてしまったのか。
 そのくせ爽やかな笑顔を向ける沢口に、西奈は何も返せなかった。
「西奈。当直が終わったら俺のトコに来てよ。待ってるから」
 凍りついたままの西奈に、橘がその顔を覗き込むように確認してきた。
「あれからずっと忙しくて、ゆっくりできなかったろ?」
 橘の笑顔が凍りついた心を溶かしてゆく。
 西奈は、それまでの緊張から解放されて、安心して橘を抱き締めた。
「はい。必ずうかがいます」
 ちょうど頬が触れ合って、思わずそこにくちづけて応える。
 そして、穏やかに包容する眼差しが橘を包んだ。
 橘は笑顔を残して、沢口とともにブリッヂを去って行った。



 ふたりを見送った後、西奈は自分で思っている以上に橘に執着している事を自覚した。
 どう仕様もない独占欲が、心の奥深くに淀んでいるらしい。
 愛したひとの幸せだけを願うなどというキレイ事は、欺瞞にしかすぎない。
 本当は誰の手にも触れさせたくない。誰の目にもその姿を映したくはない。
 自分だけを見て、自分の事だけを思っていて欲しい。
 どこかに閉じ込めてしまいたい衝動までが付きまとって異常だと思う。
 そんな自分を初めて知って、西奈は戸惑っていた。
 沢口でさえ本当は許せない。
 橘に溺れて行く自分自身に恐れさえ抱くほど、その執着心は自分でも信じられないほどの執拗さで辟易してしまう。
「どうしよう……。止められない」
 いつか、その想いを歪んだ形で橘にぶつけてしまわないだろうかと、西奈は自分自身を恐れた。



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