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楽園の紛糾
天使になんてなれない7





「そうか」
 沢口は、事実を知っている。杉崎は腹を括った。
「いろいろと面倒な事情があって、たしかに響姫先生とそういう関係だった時もあった」
 杉崎の言葉が真実を告げる。
 聞きたくもない事情に沢口は顔を背けた。
「だが、そんな関係など長く続くわけもない。すぐに消滅したよ」
「でも、今でも仲いいじゃないですか。変ですよ。一度でもそんな関係になっていながら、元に戻れるわけがない」
「まあ、世間一般じゃそうなのかも知れないが。俺たちはおまえが思っているような関係じゃない。仲がいいのは昔からだし……今に始まった事じゃないだろう?」
 沢口はふたたび杉崎を見つめた。
「あいつは立川同様、いい相棒なんだがな……。恋人じゃない」
「嘘だ」
 杉崎を見つめる視線が驚きを示す。
「そんなの嘘だ。信じるもんか!嘘に決まってるっっ!」
 沢口は杉崎を否定した。
 そうでもしなければ、自分自身を否定しなければならなくなる。
「沢口、嘘じゃない。俺はおまえが可愛いし、傍にいて欲しいと思う。おまえが居なくなって、居ても立ってもいられなくて、街中を探した」
 沢口は杉崎の想いを聞いて愕然とした。
 響姫との事が自分の勘違いだったとすれば、杉崎を忘れようとしてきた事は一体何だったのだろう。杉崎が育てて来た自分と、杉崎を愛していた自分を捨てたくて、何もかも忘れたくてドラッグとセックスに溺れて来た日々は一体何だったのだろう。
 沢口は猛烈に襲ってくる嫌悪感に耐えられなくなり、杉崎の穏やかな視線から逃れるように後ずさる。
「沢口?」
 沢口の変化を感じ取って、杉崎はその様子に不審を抱いた。
 ふたたび涙がとめどなく溢れて、もう取り返しのつかない傷に全身が痛む。
 自分の身体を抱き締めて、襲いくる後悔の念に苛まれる沢口は、これ以上杉崎の視界に入っている事ができずに、突然ベッドルームへと逃げ込んでドアに施錠してしまった。
「沢口!……おい、どうしたんだ?開けろ、沢口!」
 杉崎が叩くドアの向こうで、どうすることもできない感情に支配される沢口は、締め切ったドアにもたれながら自己への不快感に押し潰されそうだった。
「出て来い!沢口!!」
「──嘘だ」
 沢口は自分の両耳を塞いで、杉崎の真実から逃れようとする。
 大切だったすべてのものを捨て去ってしまってから、それが間違いだったと聞かされても、もう取り返しがつかない。
 信じてはいけない。
 信じたらまた裏切られる。
 そう思い込むことで、必死に自分を守ろうとしていた。
「沢口っ!」
「いやだっっ!信じない……信じるもんか!」
 認めてしまえば足元が崩れて行く。自分が犯した全ての過ちを認めたくない。
 沢口はドアから離れて目についたシャワー室へと足を向けた。
「沢口っっ!どうした!?」
 ドアの向こうではシャワー室の扉を開ける音が聞こえた。こんな時にシャワー室に入るのは尋常ではない何かを予感させる。
 杉崎は意を決して、ベルトのホルダーから銃を抜いた。
 立て続けにドアキーに銃弾を撃ち込み破壊して、ドアを蹴破って室内に進入した。
 そしてシャワー室に飛び込んで、首にナイフを当てて切り裂こうとしていた沢口の手を取り押さえた。
「放してっっ!」
 抵抗する沢口はその手をねじ上げられて、持っていたナイフを床に落とした。
「ジャマすんなよ!」
「バカな真似するんじゃない!なに考えてんだっっ!」
「あんたの傍に居たくないんだよ!これ以上振り回されんのはゴメンだ!」
 悪態で応える沢口の頬に、杉崎の平手が飛んだ。
 初めてだった。
 今まで部下に手をあげた事など無かった杉崎だったが、今回は様相が違った。
 沢口は、打たれたはずみで狭いシャワー室の壁に背中を打って、そのままそこに膝を崩してうずくまった。
 涙が溢れでて、やり場の無い怒りと悲しみが襲う。
「俺の事なんて……放っときゃいいだろ。どうせその気もないくせに。もう、かまわないでくれよ……」
 消えそうな声が、沢口の傷心を伝える。
 杉崎もまた、やり場の無い感情を抱いていた。
「……確かに、俺は長い間おまえを待たせたかもしれない。だが……おまえが欲しいと思う俺のこの気持ちを、どうして認めない!」
 訴える杉崎に、沢口は悲しみに歪んだ顔で失笑した。
「──本当に?」
 杉崎を寄せ付けない態度は変わらないまま、反抗的な瞳が杉崎を挑発する。
「こんな薄汚いジャンキーを、あなたが相手するの?俺はもうキレイじゃないよ。いろんな男にいろんなコト仕込まれた。……あなた、自分を貶める気?」
 信じられない沢口の言葉に、杉崎は眉をひそめた。沢口の乱行よりも、沢口のその荒んだ心が悲しかった。
「さっきまで、ドラッグと一緒に、よく知りもしない男のアレ舐めてたんだぜ……。そんな野郎を欲しいだなんて、シュミ悪い……」
 そこまで言いかけた沢口の顎が、杉崎の手によって抑制された。
 鋭い双眸が沢口を容赦無く睨めつけて黙らせた。
「──それなら、キレイに洗い流せ」
 コントロールパネルに触れて水を流す。ふたりの全身はすぐに水に包まれていった。
「洗ったら、少しおまえの身体に教えてやろう」
 杉崎は、沢口の薄いシャツを力任せに引き裂いて、沢口に迫る。
 沢口は驚いたまま微動だにできない。
「俺にそんな口を利くな。俺以外の男と接するな。……おまえは、俺に従っていればそれでいい」
 杉崎は茫然としたままの沢口にくちづけた。

 水音がふたりを包んで、触れ合う互いの顔を水滴が伝わって行く。
 オレンジ色の濡れた髪から、滴が絶え間無く落ち続ける。
 溢れ出る沢口の涙は、水に流されて消えていった。



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