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楽園の紛糾
Triangle3





 港にさしかかったとき、次郎はそこに暴走してきた一台の乗用車を発見した。なぜか注意を引いたそれから、勢いよく飛び出して来た者を見て、次郎は何かを予感した。
 うっすらと夜が明け始めて、東の空が朝焼けに染まる。
 朝日を反射して煌めいた遮那王の艦体は、やがて藍の空へと消えていった。
「弁慶……」
 筋状に残った雲を見つめて、彼は為す術もなく埠頭に立ち尽くしていた。
「嘘つき……。傍にいるって言ったじゃないか。独りにしない、って言った……」
 ふたたび涙で視界がぼやける。
 置き去りにされた喪失感が森を襲う。
 そのとき、ローターの爆音に気付いて森は驚いて空を見上げた。
 次第に近づく音は海の沖合から向かってくる。
 武蔵坊の存在を予感して、あえかな表情のまま見続けていると、それは頭上からゆっくりと着陸してきた。
 埠頭に降り立ったそれが地面に落ち着くと、中から濃紺のユニフォーム姿の将校が現れた。
 その人物を見て、森は茫然とした。
 汚れてシワだらけで、ボロボロのユニフォーム。顔じゅうに痣ができて、左の目尻から眉にかけて赤黒く腫れ上がっている。歩くのがやっとの足取りは、脚のどこかを負傷している事を物語る。
 そんな変わり果てた姿でも、森には一目でそれが次郎であることがわかった。
 どうしようもない感情が森を押し包む。自分を置いて去って行った武蔵坊を恨みながら、遮那王から次郎が還って来た事が嬉しい。
 そして、次の瞬間、信じられない事が森の身に降りかかった。
 次郎に突然抱き寄せられた。訳が分からずに茫然としたままの森は、自制の効かない感情のまま涙を流し続けていた。
「泣くな……。あんな奴のためになんか泣くんじゃない」
 森の身体を抱き締めて、その髪を撫でながら次郎が苦しそうにつぶやく。
 森が遮那王の武蔵坊を追って来た事は明らかだった。武蔵坊を思って泣いていた事も、次郎には分かっている。
「俺が……。もっと早く自分の気持ちに気付いていれば。おまえを傷つける事にはならなかったはずなのに……。許してくれ、蘭丸」
 初めて名を呼ばれた。
 この人に一体何が起こったのだろう。と、森は混乱した。
 茫然としたままの森を身体から少しだけ離して、次郎はその瞳を見つめた。
 あえかな表情で、武蔵坊のために涙を流している。
 次郎は堪らなくなった。
「――蘭丸。……あいつの事は忘れてくれ。もう一度、俺を見て欲しい」
 あえかな瞳が、驚いて見開かれた。
 次郎は、自分が今まで押し殺していた想いを口にした。
「今更おまえを、他の野郎になんか渡せるか」
 不甲斐なかった自分自身への怒りが次郎を駆り立てていた。
 森はふたたび強く抱き締められて、驚いた表情のまま現実を受け入れられない。
 熱い告白とモーションが、普段の次郎からは想像もつかなくて戸惑う。
 いつも冷静で理性的な隊長だった。恋人であろう彼女に対してでさえクールで、自分を失わないでいた次郎のこの変貌ぶりは、森にとっての理解を越えていた。
「隊、長?」
「隊長じゃない。……隊長としてじゃない」
 切ない胸の疼きが、ふたりを押し包む。
「――おまえが」
 次郎は言いかけて、そして森に接吻を贈った。
 強引でムードのかけらもない。武蔵坊に比べればずっと不器用なキスだった。
 けれど、その熱い想いと真心は、森には衝撃的で。なのに、今はもう素直に喜べない自分がいる。
「傍に居すぎて気づかなかった……。俺はおまえが好きだったし、好かれているのも知っていた。だけど、そうじゃない。そんな感情じゃないって事にやっと気付いた」
 次郎は森を抱き締めながら、愛しげに頬を寄せた。
「どうして?どうして……今になって」
「今だから気付いたんだ。おまえが俺から離れて、やっと気付いた。おまえを独占したいって気持ちは、もうどうしようもない」
 次郎の告白を聞いて陶然とさせられる。けれど、森は甘い感情をやっとの思いで振り切って、その腕から逃れた。
「嘘……。そんなの嘘だ。あなたは僕に同情しているだけなんだ」
「ちがう。俺はおまえが好きだ」
「信じられないよ!あなた男は嫌いだったじゃないか!」
「当たり前だ!野郎となんて冗談じゃねぇ。俺が好きなのはおまえなんだ!おまえだけだ!」
 必死に訴える次郎の熱意は、森の頑なになりかけた心を溶かす。こんな情熱を見せつけられては、森は黙るしかなかった。
「ちくしょう!……ここが外じゃなかったら、今すぐにでも証明してみせるのに」
 森は驚いて赤くなる。
 嬉しい告白だが、もしかしたらこのひとは、自分の事を男だと認識していないのではないだろうかと不安になった。
 そして急に我に返って、自分たちを取り巻く現実を思い出した。
「フェニックスに帰らなきゃ。遮那王を追わなければ」
「何故追う?」
 森が武蔵坊を追う事が気に入らない。次郎は森を問い詰めた。
「フェニックスに、遮那王の追跡命令が出ているんだ。仕方ないでしょう」
「なんだ、そうなのか」
 次郎の表情が突然嬉しそうに変化した。
「そうか……。それならフェニックスにヘリで直行だ。来い、蘭丸」
 次郎は身を翻して、ヘリコプターへと戻って行った。森はその変わり身の早さに唖然とする。
 結局このひとも、単なる戦好きなのだろうか。
 森は次郎を追いかけながら不安になった。
「この(シルシ)のおとしまえをつけさせてもらうぜ。おまえの事も含めてな。……きっちり決着つけてやる」
 次郎はヘリコプターを離陸させてから、隣に座る森を抱き寄せてくちづけた。
 森はあまりの状況の変化について行けない。
「フェニックスに繋ぎ取れ。これから行くから置いて行くなってな」
「……うん」
「どうした?」
 次郎は、少し塞ぎ込んでいる森の様子に気付いた。
「え?べつに……」
 取り繕って通信機を調整し始める。その不安と動揺になんとなく気づいた次郎は苦笑した。
「心配すんな。俺はあいつみたいに全てを犠牲にしてまで戦に没頭するつもりはないし、今までだってそうだったろ?俺の事はおまえが一番よく知っているはずだ」
 次郎が、思ったよりも冷静でいたようで、森は安堵した。さっきまでの予想外の彼の行動に惑わされて、自分が知っている彼の本当の姿を忘れていた。
「ただ……。俺はおまえの気持ちが知りたい。返事……今、聞かせてもらえないのか?」
 次郎の告白はあまりにも突然すぎて戸惑う。
 森はどうしていいのか分からない。さんざん他所の男との関係を縺れさせてから、いまさら貴方が好きだったなどとは言えない。そんな恥知らずな事はできないと、自身を戒めていた。
「僕は……」
 森はうつむいてしまった。
 次郎を命懸けで愛していた。その気持ちに嘘はない。なのに今、気持ちが揺れる。一途ではなくなった自分は、彼を好きだなんて言う資格がないと思えた。
「俺の事を、好きでいてくれると思っていたのは、俺の思い上がりだったのか?」
「違う!」
 悲しそうな次郎の表情を見て、森は驚いて否定した。
「違うよ……。僕は、ずっと隊長が好きだった。……ずっと隊長の傍に居られるなら、それでいいと思っていた。でも」
 森は言葉を一瞬濁してから、それでも思い切って自分の本心を告げた。
「隊長が、僕以外のひととずっと一緒にいるようになって……。淋しくて、我慢……できなくて」
 森はふたたび涙を零した。
 次郎の中に自責の念が溢れてくる。
「――俺の事を、今でも好きか?」
 次郎の問いかけに、森は矢も盾も堪らずに抱き着いて応えた。
「好きだよお。……ホントにずっと好きだった。隊長とっ!!……隊長、と……」
 ずっとしまっておくはずだった想いを言葉にする。
 けれど、自分の中にある生々しい感情を思うと、突然火のように体が熱くなって、恥ずかしくなって動揺した。
 泣き出しそうなほど困った顔をして真っ赤になっている森。
 次郎は、そんな森の情に煽られた。
「おまっっ……はなぢ出そうなコト……」
 次郎の顔まで真っ赤になる。言葉はなくても、態度で伝わる突然の告白にのぼせ上がる。
「だってホントだよ!今だって、隊長の……。してあげたいくらい好きなんだ!」
 次郎は呆気にとられながらも、つい身体が反応してしまうのを自覚した。
 外の男に言われたら、殴り返していたであろう事も、森の口から出る言葉なら、今は嬉しくてたまらない。
「――墜落するぞ」
「隊長と一緒なら、死んでもいい……」
 そうきたか……。と、またのぼせ上がる。
 次郎は幸せだった。
「一緒に、気持ちよく生きるのが先だろ?」
「うん!」
 森はべそべそと泣きながら、次郎に抱き着いたまま離れない。ヘリコプターは頼りなく微妙に揺らぎながら、フェニックスへと向かって行った。



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